30 Mar 2012

死刑存廃論についてのラフな思考実験

先日こちらのpostをしたところ、ポツポツとRTされたので、ちょっと思い立って整理してみた。

基本的に数年前に個人的興味で調べた情報をベースに、幾つか気の付いた要素を更新してるだけなので、話題としてどうしても古さが否めない点はご容赦を。あと個人で趣味的に調べた事なんで、間違いなども結構あるかもしれず。

なお、この項は異論とか批判とか苦情が多数出そうなので、コメントつけられても敢えて反応しないので予めご容赦を。俺と違う意見とか幾らでもあっていいし、あくまで俺自身の検討内容整理とか、読んだ人にとって何か反面教師的にでも参考になればいいとかいった意味の記事ですコレは。

・資料1

「玉井先生と小倉弁護士の死刑をめぐる会話」

・資料2

森達也氏「「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と書いた人に訊きたい」

まず直近の死刑執行に際して出て来た上記2話題の消化から。

資料1。これヤヤコシイ系な話題に見えるけど整理して考えれば結構シンプルな話。適正手続きを軽視する風潮に対し苦言を呈した玉井先生に対し、小倉弁護士は、そのロジックだけを切り出せば(特にtwitterは個別postのみRTで拡散する傾向があるんで)政治犯のようなケースに悪用される事も容認する事になるってツッコミというか茶々というかを入れているだけ。

玉井センセイの発言自体はカッコ付きで「適正な法的手続きで合法に下された判決に対し」という暗黙の前提があるけど、小倉センセイはその前提表示が無い事を突っ込んでるんじゃないかな。

政治犯を字義通り狭義で捉えれば「どこの恐怖政治だよ」とか言いたくなるだろうが、多分それ以外のケース=(例えば)社会安定維持のために、誰か生贄的に犯人を仕立てて事件を落着させる必要がある、という冤罪ケースも含めて考えた方がいいと思うコレは。そうして見ると小倉センセイの茶々も一考に値する意見になる。

 

次に資料2に入る前に、政治や法律の世界のロジックと個々人の感情との不整合について私見をば。回りくどい説明は面倒だし読みづらいので、分かりやすい柄谷行人氏の所説を参考にして。

(1)政治や法律の世界のロジック

この世界では、一々個々人の個別事情に関わり合っていられない。だから「個々人性」的なモノを捨象してしまう。極端に言えば個々の人間が「人間としてのワンオブゼム」になっちゃう世界。

ここでは大所高所の視点で語る「一般」のロジックと、より具体的な事態にアプローチする「個別・具体」のロジックが対立軸になっていて、その中間のどこを適切なバランス分岐点にするか、「どこまで一般論で済ませて、どこから個別具体論で別途対処とするか」が肝要になる。総論と各論の関係とか、一般論と例外の関係というか。

(2)個々人性、すなわち「単独性」

上記の世界で捨象された「個々人性」はどーなんのよという話も当然ありうる。が、これは一般<>個別のロジックには馴染まない「単独性」というモノになってくる。

分かりづらいので具体例を挙げると、「私が子供の頃から飼っていたペット犬のコロ」はお金にも換えられないし別の犬で代替物とする事もできない、なぜならそのコロとの共有体験が私の人生の一部として血肉になっているから、という話。一般・個別のロジックで解消できない唯一性・代替不可性というか。「世界中が犯罪者だと指弾しても、私だけはこの子の無実を信じる。親というのはそういうものだ」というロジックも単独性から考えれば理解ができるのではないかと。で、極端な話、単独性ってのは世界の大半を失ってでも守りたいと思ったりする心情の領域だから、政治や法律にはちょっと馴染みが悪い。慰謝料とか損害賠償による弁済って思想は、そもそも「失われた単独性の回復はどうやったって不可能だから、一番通用力のあるお金でなんとか代替しましょう」って思考がベースにある筈だし。

じゃあ単独性が全く無力なのかというとそういうワケでもなく、世論を動かせば「一般」と「個別」の間のバランス分岐点を、より「個別」の側に動かす事ができる。例えば光市母子殺害事件のケース。アレが騒がれた結果、「加害者の人権ばかり大事にされて、被害者やその遺族の人権が蔑ろにされてないか」という話題が挙がって、世論が動いた。動いたから政治や法律のシステムがそれに反応して被害者参加制度などの歩み寄りが生じた。これは重要な一歩だと思う。

さて閑話休題、資料2。

森氏の言う「アンタら被害当事者じゃねーじゃん」的ツッコミは当然ながら森氏本人にも当てはまるわけで。だけど、感情論でロジックをスッ飛ばして政治・法律に影響与えて(森氏の挙げた例に従えば「厳罰化」とか)いいのかよというクールダウンを狙ったのであれば意味はある。上記の政治法律世界のロジックは、被害感情とかいった単独性には本来馴染まないんだから、(情を失った議論も空疎だけど)情に流されて議論がgdgdになったまま流されるのも回避すべきだと思う。

あと念のため補足しとくと、「海外はこうだから」ってのは一種の思考停止手法でないかと個人的に疑っているので、資料1・2とは別にその種の主張がある件については触れない。余所の状況は余所の状況で、あくまで参考例に留めてもっと自分たちの頭捻るべきじゃないかなと。

 

そこで、思うに。

政治とか法律の世界について語るのなら、ちゃんと「こういうケアすると社会的にこれだけのリスク(或いは負担が)生じる」というのを俎上に提示した上で「ここまではケアしよう」「ここから先は流石に無理だろ」とかいう判断を個々人が検討できるようにしなきゃアカンのではないかと。

処罰感情だけで刑罰を語るのもおかしいし、対抗言説として人権とか理想論ばかり主張しても「じゃあその理想論実現のために、どれだけの社会的負担が生じるのか」が分からなければ有効性に乏しくて感情論と同じ世界になっちゃう。そもそも理想論って公教育過程でみんな一度は耳にしている話なワケで。理想が大事なのはみんな本来分かってる筈。問題は理想と現実の擦り合わせをどこで行うかで、この妥協点探りが政治とかのキモなんでねーのかと。そうじゃないと民主主義の多数決って奴に意味が無い。

(勿論「理想論を切り捨てる」という判断にも社会コストは当然付随する)

……といった事を踏まえて。

・死刑の存在は望ましいのか?(理想論)

望ましいワケが無い。

冒頭に挙げた冤罪ケースとかを考えれば、冤罪被害者(犯罪加害者と目された人)の救済可能性はなるべく残しておきたいのは当然の話。

個人的に、例えば関心あって調べてみた東電OL事件とかもゴビンダ氏は犯行不可能だったんじゃね、と思うんだが、マスコミは被害者の生態を追っかけるのに夢中になって、碌にこの辺りが検証されないままズルズルと有罪認定されてしまった印象があり。中々再審は難しいとしても、ハナから死刑にしてその可能性をゼロにする積極的な必要性は無いと思う。

じゃあ死刑を撤廃してどういう刑にするか。よく見かけるのは欧米みたいに「懲役120年」とかいった刑期短縮しても出られそうにない長期刑を認めてしまうタイプの意見になるのかなあ。

ちなみに光市~の事件で被告人とかも誤解してたようだけど、凶悪事犯の長期懲役は実際にはそう簡単に出られない。少年法とか精神耗弱認定とかあった場合は別だけど。LB刑務所(LBは長期受刑の凶悪事犯用を指すみたい)の受刑者手記とか見てると、無期なら最短20年近くは仮釈にはかからない。仮釈対象として審査にかかっても、身元引受人が出なければどうなるか。結局刑期を満了するより無い。仮に事件から20年経って、本人の身内とかでもどれだけが存命しているのやら。存命していたとしても、加害者の身内としてバッシングを受け、ようやっと風化して安心できるようになった所で身元引き受けする気になれるかどうか。それは当人次第だとは思うが、あまり分のいい話じゃないと思う。犯罪者更生支援者に頼るという手もあるだろうけどね。でも、早くてザックリ20年後。社会も文化も大分変わってるから適応するのもかなり大変だと思うよ。

 

・ではその理想を追求した際に生じる社会的負担は?

ここで資料3と資料4をば。

資料3:死刑廃止すると受刑者一人当たり年間248万円の税金が使われる

資料4:日本の刑務所はパンク寸前 収容率115%! 民営化必要? 

そう。資料3にあるように、受刑者一人に年間で投下される税金は250万弱になるワケだ。「グローバル経済で年収300万時代が来る!」とかひところ騒がれてたけど、こうして数字を見ると結構寒気がする。

年収300万の人間が例えば首になったり会社が潰れたりすれば、(生活に大きな不自由が生じるとはいえ)受刑者になれば年間250万近くの税金で国が養ってくれる、という発想が出て来ても不思議じゃない。「貧困層へのケアは間接的に社会の治安向上に繋がっている」という問題が数字で明示されたようなモノ。

……まぁそれ以前に、生活に困窮してるんなら生活保護申請を考えろよというツッコミもあるだろうけれど。申請すれば即保護を受けられるワケじゃないし。

実際「累犯障害者」とか読むと、障害があるために社会に受け入れて貰えず、受け入れてくれて安心できる環境(刑務所)に戻るために犯罪を繰り返すようなケースもあるワケで(読んだの大分前なんで記憶違いあったらゴメン)。

更に資料4。

既に日本の刑務所は、随分前から言われていた話だけど収容過剰状態になっている。犯罪者処遇としてまずこの過密状態は人権問題にならないのか、という話になる。

じゃあ刑務所を増やす? 葬祭センターを建築するとかいった話が持ち上がるだけでも「治安が悪化する」「地価が下がる」と言って住民運動で反対されたりする日本の社会情勢で、それ簡単にできる話なんだろか。

じゃあアメリカみたいに民営化する? それにも個人的には悲観的なんだ実は。「公」色彩の強い民営化の実例として、日本郵政の民営化後のトラブルの数々を忘れたワケじゃなかろうて。じゃあ「私」色彩の強い民営化はどうか。ワタミの介護産業がどれだけブラックだったかを考えると空恐ろしい。今の状況でも看守等の人手が足りなくて優良受刑者の手を借りたりしてる(上記「累犯障害者」等を参照)のに、誰がやるのソレ。

あと今の日本の刑法学で主流になっている(よね、確か)平野系の説だと、基本的に「本人そのものが悪いというより、生育環境等々の環境が悪いから、刑は社会教育目的を持っている」ロジックになるよね。それ民間に投げちゃっていいの?という疑問もある。

 

つまり死刑を撤廃するって事は、それだけの人数が受刑者として増えるって事だ。

収容施設のキャパはどうなるのか。受刑者に対する税金コストを納税者は容認出来るか。

感情論も分かるし、理想論は理想論として納得してるんだけど、こういう社会コストまで踏まえての話ってなかなか出て来ないよね、という事。多分不人情とか冷たい人間だとか思われたりして批判されるのが嫌なんだろうなとは思うんだけど。でも理想論って、ただ理想をくっちゃべってるよりも、こういうコストを踏まえた上で、それでもコストを理想の対価として受忍(コスト軽減を検討するなというワケじゃない)するという主張をする人の方が、個人的には志が高いんじゃないかなと思っていたり。

逆に理想論を強弁して「じゃあ死刑やめちゃいましょう」となって、いざ蓋を開けたら世論が「こんなコストなんて聞いてねーよ!」とかいう話になったら、結果としては実態がgdgdになった挙げ句、逆効果というか揺り戻しというか反動が出て危険なんじゃないかなと。

更に付言すると、死刑存置論は「こんな社会コストは負担したくないから、冤罪の救済可能性を潰してでも死刑を温存するという、別の社会コストを容認する」という話でもある。

 

で、暫定私見。

正直理想論の大切さは分かってる。分かってるんだけど、この現状でこの数字を見てるとどうにも分が悪いというか。有効な説得的な議論が思い浮かばない。

今世論自体が(少なくとも治安意識としては)保守傾向で被害者感情重視に傾いている上に、「官」の無駄遣い(何でも無駄遣い視するのはどうかと思うが)許すまじな風潮になっている。何よりワーキングプア層の生活費以上の税金を投下されているという実態にはかなりの反感が生じるだろうし。一般論としては刑務所とか増やせばいいじゃんと言えるけど、じゃあ具体的に家の近所にそれ作られちゃう人にそういう説得ができる自信は俺には無い。増やしたら増やしたで、上記「累犯障害者」で危惧されてるように、高齢者・障害者の介護施設を兼ねる事態にもなりかねないし。こういう人たちがある程度社会の中で安心して生活できる社会であれば、そういう危惧も杞憂で済むんだけど、どうも杞憂で済まない気がしてならない。

となると、現状の(法務大臣が敢えて早期執行をしない限り)何年も確定死刑囚が受刑を継続するという実態も、ある意味妥協点の一つとして考える事ができるなぁと。それはそれで、刑が確定したのに速やかに執行しないのは法に反しているという問題があるんだけど。あと受刑者当人にとって長期の宙ぶらりんは精神を患う要因になる事も問題として考慮しなきゃいけない。

あと触れてなかったけど、執行手段というのも法改正も含めて考えた方がいいんだろうけどね。こっちは情報というか調査不足なんでノータッチでここまで来たけれど。絞首刑というのが手段として適切かどうか、一種の残虐刑になっていないか。他にどんな手段がありうるのか、ベターな代替手段は無いのかとか。

 

あーしかし、多分「現状維持派の逃げのロジックだ」とか「原発容認派と同じ思考パタンじゃねーか」とか言われるんだろうな。自分でも客観視するとそういう印象は少なからずあるだけに。ただ、理想論の大切さは分かっているので、もうちょっと理想論側に「理想をただ掲げるだけってのはそろそろ一区切りつけない?」的な気分ではある。

 

23 Feb 2012

電書業界にフォントメーカーから冷水BUKKAKE祭り

(※タイトルに偽りあり)

☆コメント指摘を受けて一部加筆修正。

去年あたりから火種になるんじゃねーの?という噂が漏れ聞こえておりましたが。とうとう来るべきモノが来たっつー感じですか。

要はフォントメーカーが「出版物>電書」コンバートはライセンス対象外の二次利用だと、こう言うワケです。

以下、憶測が混じった記述になるので明らかな憶測については字を色分けしてお送りします。

まずは準備段階として電書の形態を大づかみに3種に分けてしまおう。

  • リフロー型商用電書…文字系コンテンツの大手出版による商用など。「リフロー」=文字の拡大縮小をする際に、画面サイズ・ウィンドウサイズに合わせて文字を再配列するところが分かりやすい特徴。電書データに文書は埋め込まれているけど、フォント(字体)データは埋め込まれず、ビューアに埋め込まれてる事が多い。この場合、ビューアソフトのメーカーがライセンスを受けている。
  • PDF型電書…個人ベースの配信や中小出版などの商用など。フォントデータも埋め込まれている事が多いが、文字位置が固定されて編集不可なので埋め込まれたデータをどうこうするといった事は基本的に想定できない。商用では、例えば紙のDTPに使ったInDesignデータをそのまま(奥付だけ電書用にして)PDF出力し、PDFのプロテクト機能を使ったりサードパーティーによるDRMを加えたりとかして配信される。
  • 画像型電書…コミック系電書の圧倒的大多数。文字も画像要素も、何もかも纏めて1ページなら1ページ丸々の画像としてデータを作る。

今まではどうだったか。というと、これまでは写研の写植で文字打ち&フィルム製版で書籍を印刷しておったワケで。で、写研さんは比較的おおらかというか、上記のPDF型や画像型で電書を作る分には何も問題無かった。元々写植についての権利が事実上買い上げみたいな格好だったし、PDF型も画像型も、別にそのフォントを弄ってどうこうっつー事も無いワケなので。

さてここまで準備段階。

ここから、今発生している問題。フォントメーカーの一部が、「紙の本を出版するならともかく、電書という形での利用はライセンス対象外だ」と言いだした。

以下、リフロー型はビューア側でライセンス取得している事を前提に、PDF型と画像型について整理してみる。

※記事起こし時点で耳にした所では判断明示無しとの話だったが、コメント指摘を受けてサイトにて調査・確認。フォントもしくはその代用的な利用のできない形であればOKのようなので、PDF型・画像型はモリサワについては大丈夫そうです。

http://www.morisawa.co.jp/font/products/terms/commercialUse.html Q4及びQ5参照

  • 大日本スクリーン製造(ヒラギノ・千都)

※こちらもコメント指摘を受けて確認。PDF埋め込みやHPでの画像化利用がOKのため大丈夫そうですな。(製品バージョンにより異なるので注意・リンク先参照)

http://www.screen.co.jp/ga_product/sento/support/licensefaq.html#anchor3-1

  • Adobe

※大日本同様にコメントを受けて確認。埋め込みOKフォントの一覧があります。

http://www.adobe.com/jp/type/browser/legal/embeddingeula.html

  • イワタ「要相談」
  • フォントワークス「ライセンス対象」
  • タイプバンク「画像型はライセンス対象(PDF型は要相談)」
  • 白舟書体「ライセンス対象」

イワタ・フォントワークス・タイプバンク・白舟はこちらの図が分かりやすいかと。

Letslisense
http://fontworks.co.jp/news/2011/07050439.htmlより)

画像型は「画像として使用」に該当するし、PDF型は「固定レイアウト型」と考えていいだろう。

さて問題。

1)出版サイドはどうするか(今後)

もう今や一々コストかけてられないのですよ景気的に。だからこれからはフォントワークスにベッタリで「使わせてくれてありがたやー」としてやっていくとりあえずダイナとニィス(PDFはタイプバンクも)に注意して処理していくしかない。これまで編集やデザイナーは美観最優先で、フォントメーカーがどうのとか考える必要があまり無かったんだけど、今後はプログラムのGPL汚染防止みたいに編集もデザイナーも周知徹底して、ライセンスNGなメーカーのフォントの使用を抑えるしかない。

デザイナーとして字体に拘る人は一杯いて、そういう人の要望が通る事も勿論ある。あるけれど、多分案件毎の個別ライセンス取得になるから、よっぽどのデザイナーさんじゃないとそういう意向が通らない事になるだろうとは思う。

2)出版サイドはどうするか(これまで)

今後については「フォントワークスで行きましょう」で済むんだけど、これまでのDTP資産がどうなるか。正直、こんなモン全部フォントを置き換え修正なんてコスト合わなすぎてやってられるワケがない。となると、フォントワークス以外のメーカーフォントを使ってる案件のうち、売れるタイトルだけライセンス取得、売れないタイトルの配信取りやめという事態が十分起こりえるという気がする。

3)個人サイド、及びそれ以外

以上の話は出版・法人サイドの話。なので個人ユーザーの場合はライセンス契約を熟読する事をお勧めしたい。

それ以外に気になるのは「Jコミ」のような形態。ここは①今のところ殆どフィルム製版時代のタイトルばかりだから問題無いだろうけど、今後DTP制作案件が入ってくるとどうなるかが問題になりうるし、②BtoCで無料のビジネスモデルと言ってもBtoBではしっかりお金の遣り取りがある(だからこそ著者にお金が回る)から、商用として上記の法人と同様の問題になる可能性が高い。

 

とか何とか言ってきても、文字モノなコンテンツはまだ救いがあると言える。InDesignの下版データさえ手元にあれば、同じ字体のところを纏めて選択して、フォント変更、その結果(フォント毎にウェイト等は微妙に異なるから)文字組がズレたりブロックをはみ出したりとかいったところを調整すればいい。

でもコミックは。フキダシごとに文字ブロックがあって、同じフキダシ内でも違うフォントを使っていたりして。これを一々修正するのは、物凄いマンパワーが必要になって、悪い冗談でしかない。

正直ね。。。電書って日本の場合売上の殆どが携帯(しかもガラケー)だし、そこは有象無象的なBLとかTL(TeensLove)とかエロ(微エロ含む)だし、個々のタイトルに売上分解していくと、一部ヒットタイトル以外はかなーり微々たる状態で。しかもガラケー市場は年々目に見えて冷え込み気配になっている。ここでフォントライセンス上の問題が発生すると、一気に冷え込む可能性だってあるんじゃなかろうか。

個人的には、フォント著作の権利の重要性はよく分かるつもりなんだけど、PDF型にしろ画像型にしろ、電書データからフォントを取り出してどうこうって殆どあり得ない話だから、紙の派生扱いでいーじゃんかと思ったりするんだが、これも電書・出版クラスタ住人のポジショントークなのかねえ(´д`)

とはいえ、フォントメーカーに文句言うのもあまり筋として宜しく無い。

少なくとも(聞いた話だが)ダイナコムウェアはライセンス条項にこういう事は明示してあって、今まで出版業界が写植の延長線上の意識で使ってきた事の方が寧ろ「脇が甘かった」と言い得るのも確かなんだから。

13 Feb 2012

電子書籍アクセシビリティ・シンポジウム抄録

13日に実施されたシンポに参加したので、可能な限りメモ書きした内容からテキスト起こし。あくまでメモ書きベースなので、誤記の可能性が多分に混入している事についてはご容赦をー(´д`)

正直パネル「ディスカッション」と称しながらあんまディスカッションで議論が深まった印象もなく、「協会でこんな事やってます」という報告会でないのかと思ったけれど、その割に総務省がゴニョゴニョな感じでポカーン(゜Д゜)

まぁ出版、電書、図書館(障碍者用電子図書館的意味で)クラスタにとっては一定の意義ある情報ではあるかなと。

1.開会挨拶:電流協理事・凸版印刷 中尾光宏

電流協では三省(総務省・文科省・経産省)プロジェクトの下、電子書籍のアクセシビリティについて研究してきた。

電子書籍は話題だけは先行してきた。今年こそは実の入ったモノになるのではないかと期待している。

電書はアクセシビリティの側面から見れば、障碍(がい)者・弱視高齢者などに読書の機会を提供する読書人口の維持拡大という意義を持っている。

 

2.第一部:パネルディスカッション「電子出版におけるアクセシビリティの今後のあり方を考える」

コーディネーター:松原聡(東洋大教授)

パネラー:石川准(静岡県立大教授)、阪本泰男(総務省大臣官房審議官)、松原洋子(立命館大学教授)、丸山信人(インプレスHD執行役員)

 

松原聡「アクセシビリティという言葉は1、2年前は人口に膾炙していなかったが、最近急速に定着しつつある様子だ。電子出版の時代に、読書の難しい層にどうアプローチできるかを考えるものといえる。産官学(この並び方には異論もあるだろうが)のメンバーで議論を進めていきたい」

※各パネラーのプレゼン

・丸山信人「ソーシャル市場ビジネスとしてのアクセシビリティ」

電子出版アクセシビリティはデジタルによって出版物などの知識に近づきやすくなる事、情報・サービスにアクセスしやすくなる事の2面があると考えられる。

その対象は「読書障碍者(people with printed disability)」=高齢者(65歳以上)、言語習得過渡期の子供(5~14歳)、視覚障碍者、上肢障碍者、発達障碍児などや、外出できない入院患者などと考える事が出来る。

広義で捉えればいわゆる健常者も例外でなく、文字の読めない環境(満員電車の移動中など)や公共施設での利用、東日本大震災の被災地のような「本を読む事に困難が生じる」場合の全てをも包括しうる。

現在アクセシビリティ環境はボランティアベースで運用される事が主だが、持続的・継続的でなければ意味が無い。ボランティアでは活動・規模を維持し続けられない。そのために読書障碍者のためのアクセシビリティ・マーケットを作るべきではないだろうか。→「循環型ソーシャルビジネス設計」

2020年の市場を予測すると、アクセシビリティ・マーケットの規模は(上記のように健常者も含めた捉え方をすれば)1500万人、3000億円市場だ。

「デジタル・イノベーションの必要性」…文字拡大、TTS(Text To Speech)、インターフェイスのUD(ユニバーサルデザイン)化など。

「民間サービス」と「公共サービス」の重なり合うところに、新たな「ソーシャルサービス」が生まれるべき。産官学のリエゾンでこれを創造しよう。

 

・松原洋子「研究者にとってのバリアフリー化」

電書普及に伴う読書バリアフリー化を総合的に研究している。バリアフリーという和製英語を使うべきか発音しにくいアクセシビリティを使うか当初迷ったが、今後はアクセシビリティを使っていくつもり。

立命館大学では「生存学研究センター」があり、ここでは学際的な立場で「生きて在る我々」を学んでいる。ここで本件を扱っている。IRIS(Integrated Research of Accessible Ebooks: Interfaces & Services)。

ここでは先の丸山氏の広い「読書障碍者」でなく、ディスクレシア(文字判読障碍)に絞って述べていく。

2009年に提出した「書籍デジタルコンテンツ流通に関する報告書」

ICT(Information and Communications Technology)によるバリア解消…大学・大学院等での勉強や研究では大量の専門書や資料をスピーディーに読みこなさなければならない。だが読書困難者にとってこれは勉学上非常に不利な状況と言える。ICTの活用でこういうバリアを解消できるのではないか。可能性は高い。

「電書のアクセシビリティ」には様々な側面の問題がある。

出版社のワークフロー問題:下版データが印刷所管理になって手元にない、など。

テキストデータを出版社が用意できても加工が大変、など。

 

・松原聡「出版者にとっての電子書籍プラットフォーム」

問題意識:電子書籍=「夢の技術」(音声読み上げ・文字拡大縮小・可搬性・入手利便性など)

「夢」と思った切っ掛けは2009年のKindle2リリース。clearな英語で声も男女を好みで選べるなど、本当に時代の切り替わりを実感できた。視覚障碍者の方々はテキストデータを版元などから貰ってくるのに大変苦労していたり、自炊(自己購入書籍をスキャンしてデジタル化)・テキスト化という手間をかけるのが当たり前だったところに、こういうアイテムが普通のマーケット商品として出てくるという事実。

対して日本では東芝が先日出した読書端末くらいしか読み上げ対応端末が無い。

日本の現状:縦書きやルビへの対応などに要される独自性から、フォーマットもストアもデバイスも乱立してしまった。実用性の高いTTSもまだ出て来ない。アメリカは表記構造のシンプルさ故にここまで来れた感がある。

アクセシビリティというのは読書障碍者だけのためのものではない。そんな小さいマーケットではなく、もっと広汎なマーケットを持っているはず。何故ならアクセシビリティへの配慮を広く考えれば「ユーザビリティへの配慮」となるから(例えば健常者でも、指を怪我したらどうなる?)。

 

・石川准(サピエという電書図書館の実践状況について)

「自炊」という言葉。最近普及してきたが、その内実は書籍の画像データ化を主眼として、付随的にOCR(画像データからの文字認識技術)を行うデータ化と考えられる。これを私は10年以上前からやってきていた。

自炊のメリット=読みたい本がすぐに読める。かつては費用をかけて丁寧に校正して貰ったモノを読んでいたが、それでは中々ラインナップが増えないので少ししか読めない。今では原則未校正で読むようにしている。

自炊のデメリット=文字ベースの本でないと難しい。OCRの文字誤認識に耐えねばならない。統計データなどを見るのが大変。

アメリカでは「Bookshare」という視覚障碍者やディスクレシアの共同自炊型電子図書館がある。では日本ではどうか?→法的問題(著作物複製権等)、フリーライダー問題、自分で裁断できない問題、自分で校正できない問題などなどの障害がある。

「サピエ」=オンライン電子図書館。全視情協で運営している。「ないーぶネット」の点字書籍データと「びぶりおネット」の書籍音訳データを包括統合したもの。パソコンからでも携帯からでもデイジーオンライン(専用のWiFi携帯端末)からでもアクセスが可能。一般会員は利用料無料。コンテンツは全国のボランティアと情報提供施設が作成している。しかし丸山氏が指摘するように、いつまでもボランティアが居てくれる保証は無い→今後はTTSによる機械読み上げが主流になっていくだろう。

サピエの施設会員=点字図書館、公共図書館、ボランティアグループなど237。年会費4万円。サピエの所蔵データは全国の各施設にばらついているが、総数としては52万点。

サピエの一般利用者はこの2年で1.5倍になった。パソコン8割、携帯7%、残り13%が専用端末。ただ閲覧はともかくダウンロード数でみる環境対比は専用端末もパソコンと変わりなくなってきている。

しかしサピエは年1千万の赤字運営状態。コスト5千万に対し施設会員費や寄付、国の援助などのインカムが4千万。

「電子書籍の可能性」

・いつでもどこでも自由に読めれば、読書量は確実に増加する。

 読書は読書を誘発する。参考文献のリンクを辿って電子書籍ストアや電子図書館に誘導する事で、ユーザーの読書量は更に増加する。

・読書は多様な道具で行いたい。

・音声読み上げ機能は視覚障碍者ニーズに留まらない。

TTS技術は益々性能を向上させていくだろうし、例えばドライバーなどが音声リスニングによる読書をしたいというニーズも充分に考え得る。

「電子書籍のアクセシビリティ」

・Amazon:Selfvoicing(内蔵機能で読み上げ対応)

・Apple:スクリーンリーダー

(リーダーを開発、iOS自体の機能としてVoiceOverを搭載。スクリーンリーダーがTTSや翻訳エンジンをコントロールする形)

・支援機器ベンダーとの連携アプローチ

AmazonもAppleも独自に囲い込みした技術で、そこに外部の者はアクセスできない。例えばiOSの日本語変換技術がとても満足いく出来でないからATOKを導入したくても、ATOKpadのような形でしか利用できないような状態がTTSの領域でも起こる。ベンダーとの連携がUD的にはベストなのだが、アメリカでもこれは実現していない。AmazonとAppleという二大巨頭が共に独自路線なので、両者の選択を余儀なくされている。

 

・阪本泰男(政府がどんな事に取り組んでいるか)

高齢化社会の進展。インターネット利用者動向を見ても急速に65歳以上の高齢層が増加している。

障碍者の情報入手環境についてヒアリングを行うと、特にインターネットではデザインのユニバーサルデザイン非対応についての不満が出ている。

総務省が三省合同プロジェクトの中で取り組んでいる事。

  ePub3への日本語フォーマット採用の働きかけ、電子出版における中間フォーマット統一化の推進、アクセシビリティを考慮した電子出版の実現、高齢者障碍者に配慮したUDの標準化、JIS改訂を通したWEBのアクセシビリティ改善、放送におけるアクセシビリティ確保(字幕テロップ)など。

 

※以下ディスカッションとして

松原聡「ソーシャルビジネスという丸山氏の提言に対し、サピエは無償ベースで運営している。これはソーシャルであってビジネスではないのではないか」

丸山信人「ソーシャルかビジネスかというのは鶏と卵。産学官でヒヨコをまず作ればいい。日本ではサービスと言えば無償というイメージに囚われがちだが、そうでない形も成り立ちうる筈」

松原聡「サピエでは一般会員無料で運営が行われている。一般の電書ストアで有料のコンテンツも会員なら無料入手できる反面、コンテンツ自体が中々揃えづらいという問題があるのではないか」

石川准「私自身はソーシャルビジネス化したいと思っている。ただ経緯として障碍者が利用できなかった公共図書館に対する点字図書館という存在があった。そして図書館と言えば無料というイメージがある。私見としては更なるサービス拡充のために有償化をタブー視すべきでないと考えているが、現在内部で大激論中。有償化するくらいならサービスを止めてしまえ派と、サービスの質を落とす覚悟でも無料を維持すべきなのか派に分かれている」

松原聡「福祉=ソーシャルの観点からすれば、タダというのは分かる。ただ、視覚障碍者が現状30万人として、その30万人のみを対象にして終わるのか、更に拡大して1500万人を対象にするかの違いは大きいのではないだろうか」

松原洋子「電子書籍の利用について、図書館モデルと書店モデルの2つがあって、リアル店舗では棲み分けが行われていたが、ネットではKindleを筆頭にそのモデルがクロスオーバーしている。著作権法の改正によって大学図書館などでは著者許諾不要で複製ができるので、立命館大学ではコピーしてテキスト化している。先の福祉=タダ論も諸般の経緯があっての事と思うが、仮にサピエが赤字でなく運営がなりたっていたとしても問題ではないだろうか。それはユーザーにとってサピエ以外に選択肢が無い事になる。私自身は先の(広義の)読書障碍者のように有償で買う選択肢が、無償で手に入れる選択肢と同様にユーザーに与えられるべきだと思う」

阪本泰男「2009年当時、今のこの技術状況は殆ど想像できていなかった。今ではTTSも性能向上が見られるし、iOSの影響でUD意識も高まっている。これからは、これらの技術で電子書籍出版のどこにフォーカスしていくかというジェネラルな視点が大切」

丸山信人「ジェネラルな視点というのは賛成。ただ日本で中々電子書籍ビジネスが動かなかったのは、紙の本前提の著作権や出版契約で身動きが取りづらかったという事情がある」

松原聡「アクセシビリティには2つあって、①過去の膨大な資産へのアクセスと、②最新の情報へのアクセスとがあると思う。前者の観点では学術書や絵本などが殆どまだ電書化されていない」

石川准「書店モデルと図書館モデルの棲み分けは、電子の領域でも(棲み分けを)確保する事に意義はある。書店モデルが活発化するなら図書館モデルも活発化する。実際にアメリカではAmazon、Appleが巨大化する一方でBookshareが存在感を維持している。ただ現状、学術書や絵本はラインナップとして少なく(アメリカでも学術書は殆ど電子化されていない)、自炊せざるを得ない状態」

松原洋子「紙の本はすぐ重版未定・絶版になる。本当にその学術書に学問的意義があるのなら、ePubでTTSにも対応して広く読んで貰う事に意義があるのではないか。電書ベースの出版ラインになればコストも落ちる筈だし利用者にとってもプラスになる」

 

※会場からの質疑応答

質問「石川先生の本は、本を買った人ならテキストデータとしても読む事ができる。こういう形態にもっと拡大してほしい」

石川准「『障がい学への招待』で紙の本をテキストデータ引換券化するという事をやったが、これは数の出ない学術出版だからできた事。学術書の電子化は海外の状況を見ても中々動かないから、暫くはこの方法論にも意義はあるかと思う」

松原聡「今の話は今回のテーマとは異なるがDRMの統一も含めて考えたい」

 

※最後に一言ずつ

阪本泰男「アクセシビリティについて進展しているような説明はしたが、まだまだ各種分野では充分進んでいるとは思わない。著作権の対応にしても予算措置についても、国会図書館をはじめとする公共図書館の役割への期待もある。産業界として『電子出版』に限らず、『アクセシビリティ』にフォーカスして欲しい」

石川准「紙と電子は共生していくもの。UDとしてベストな方法論がアクセシビリティとしてベストとは言えない(AppleもAmazonもUDとしてベストであってもアクセシビリティ的にはセカンドベスト)」

松原洋子「サピエの自炊の試みが世間の先を行っていたという事実は、IT技術の汎用性を示している。技術のフレキシビリティが個別ニーズに様々に対応して展開しているという今の状況で、全てを充足させるUDというのは(観念論的になって)無理があるのではないか。必要な人が必要な形でアクセスできるようにするにはどうすれば、というアプローチにフォーカスできれば」

丸山信人「マクロ視点とミクロ視点が大事。マクロは日本全体のグランドデザインとして、例えば嘗ての『高度成長社会』に対して『高度知識社会』とかいったビジョンを作る事。ミクロとしては、松原氏の言うように必要な人のアクセスという問題もあるし、例えば震災被災地は『著作権特区』にして欲しい」

松原聡「読書が不自由な人は沢山いて、紙の本をデジタイズしてOCRというのはそういう人にとって、ひたすら面倒な作業でしかない。でも電子書籍を前提に作っている本なら、その負担が大幅に軽減できる。また、手を怪我した人や満員電車内とかは、狭義の障碍者で無い人にもアクセシビリティニーズがある。今後のため、今回のディスカッションが第一歩になれば」

 

3.第二部:アクセシビリティ研究中間発表

・東洋大学:プラットフォーム分析

出版のデジタル化におけるプラットフォーム分析(tu-RIP)という三年間プロジェクト。立命館大学のIRISと協力関係で進めている。

電子書籍市場の拡大により、この夢の技術を通じて使い勝手の良い電子書籍が広まる事が更なる市場拡大に繋がる→電書のユーザビリティにフォーカス、ユーザビリティ向上を考慮する際に各プラットフォームの分析が必要になる。

ユーザビリティは購入・利用それぞれにおけるインターフェイスと利用体験が重要。

ユーザビリティ指標を作成し、それに基づいてデバイス・ビューア・ストアを分析。

 

日本市場ではこの三者が複合して様々なパターンを作っている。

  ①垂直統合型(ストア~ビューア~デバイスまで一体展開)…Kindle、Reader

  ②水平展開型1:ローカル型(デバイスは汎用、ストアとビューアを固定)…日本の主流形態

  ③水平展開型2:クラウド型(デバイスもビューアも汎用、ストアを固定)…電書自体はセキュアなキャッシュ領域に展開、ID認証・同時接続台数制限の下にHTML5ベース

☆この分類は固定的なものではない。Kindleはデバイスから見れば垂直統合型だが、ストアから見ると水平展開。Readerもストアから見ると垂直統合だが、デバイスから見ると(紀伊國屋BookWebも楽天ストアも選べるので)水平型。

 

重要なのは、ユーザビリティ上にこれらの形態がどう影響するか。

Kindle、iPadはデバイスレベルでアクセシブル技術を搭載している(iOSはVoiceOverで標準アプリなら読み上げに対応している)。

 

では水平展開型では同じようなユーザビリティは難しいのか?

  →iOSはアクセシビリティAPIをサポートして開発すれば対応できるという話。しかしそれはiOS独自の「方言」をサポートするという事になり、そこまで開発リソースを割けるかという問題になる。しかも提供できる機能はAppleの用意した機能に限定される。好みのTTSボイスエンジンを選ぶといった技術が導入できない。

東芝BookPlaceの場合:ストア自体は水平展開だが、自社ハードのみはTTSエンジンをインストールして読み上げ機能が実現できるシステム。アクセシビリティを強く打ち出してはおらず、子供や通勤電車内での利用を具体例としてPRしている。

日本の電書市場の乱立とそれに伴う混乱がよく言われているが、それは本当に問題なのか。

  →アメリカではAmazon、Appleの方法論に乗っかる形のみになって(利用者・開発者との)「共同作業」ができない。逆に日本では「乱立」しているからこそ、差別化のためにストア・デバイスがアクセシビリティ配慮を行う余地がるのではないか。

 

390×120項目でアクセシビリティやユーザビリティの洗い出しを日々行っている。

その上で、整理・相互比較してユーザビリティの高いストア評価などを公式サイトで発表している。

 

・立命館大学:アクセシビリティに関する出版社アンケート

読書障碍者の読書体験の変遷

  書籍の点訳→IT技術によりOCR&テキスト化(自炊)→そして「電子書籍元年」(2010年)

しかし「元年」を迎えても、日本では対応電子書籍も対応端末も殆ど普及していない。

→出版社の動向把握と、課題の明確化がアンケートの目的

 

各種団体に所属している出版社の中から、日本出版年鑑2010に掲載している135社に質問、71社から回答を得た。

  1)電子書籍を刊行した事があるか

      ①ある…64社

      ②ない…7社

  2)(本問と次は刊行した事がある場合の64社対象)どのフォーマットを利用したか

      ①XMDF…42社

      ②画像PDF…32社

      ②.book…28社

      ④(その他各種)

  3)進出ストアは

      ①honto

      ②BookLive!

      ③ガラパゴスストア

      ④ReaderStore

      ⑤パピレス …の順

  4)アクセシビリティ対応についてどのような方法を検討したか

      ①検討していない…27社

      ②方法が分からない…21社

      ③読み上げ対応ストアでの販売…14社

      ④求めのあった個人・図書館にテキストデータを提供…12社

      ⑤電子書籍をDRMフリー化して障碍者対応デバイスで見て貰う…3社

  5)紙の本について障碍者支援用にテキストデータ提供依頼を受けたか

      ①受けてない…54社

      ②受けて提供した…12社

      ③受けて提供しなかった…5社

  6)アクセシビリティ配慮した電子書籍実現の障害は(複数回答可)

      ①手間・コスト…47社

      ②著作権処理…37社

      ③ストアが非対応…29社

      ④アクセシビリティに関する情報不足(ストアの仕様非開示・方法が分からないなど)…22社

質問4で注目したいのは、アクセシビリティ対応について「関心はあるが具体的方法が分からない」のが21社もある事。既に回答者3割が何らかの対応をしているので、この層が動けば6割の対応になりムーブメントができるのではないか。

 

・電流協特別委員会①TTS研究部会

出版アクセシビリティに取り組んで8年になるが、進展しない苛立ちは既に無限大。

用語の整理

  「ユーザビリティ(使い勝手の良さ)」は「バリアフリーデザイン(物理的バリアの除去)」・「ユニバーサルデザイン(最初から見やすく作る)」を通して、「アクセシビリティ(誰でも必要な情報にアクセスできる)」に至る。逆方向もまた真なり。

対象…視覚障碍、色覚障碍、発達障碍、及び聴覚障碍(盲聾唖)の一部

TTSは音声合成技術を使った読み上げ技術。

高齢化社会で高齢による読書障碍者は年々増加の一途を辿っている(現在人口の1/5、やがて1/4になるのは間違い無い)。

 

視覚障碍者は約30万人、裸眼視力0.5未満が165万人(近年若年近眼の増加を考えればこの層はまだまだ増える)、上肢障碍者は57万7千人。高齢者で、緑内障・白内障・老眼で読書に不自由している人も含めると、読書障碍者人口は1000万人以上となる。通勤ラッシュで本を読めない状況なども含めて考えれば潜在人口は膨大。

 

部会のテーマ

  ①TTS対応電子書籍の制作ガイドラインブラッシュアップ

  ②制作における課題(現場ヒアリング)

  ③電書におけるTTS対応課題

  ④音声読み上げ関連技術の勉強

  ⑤合同フォーラム開催など。

  (関連技術の1つとしてSMIL[スマイル]…音声とテキストの同期技術として昔から存在、国際的な障碍者用電書フォーマットDAISYに採用されている)

 

部会の研究目標

  ①ガイドラインのブラッシュアップと電子書籍制作過程への適用

  ②TTS対応電子書籍の制作と販売支援

  ③現場への啓蒙活動と世論アピール

シニア層のニーズ増大・移動中ユーザー層などを見込んで、オーディオブックなどにも手を広げていきたい。

 

音声対応の意義

  ①紙の本と共存できる

  ②音で聞くから紙の本よりも「気づき」が深い

  ③音を聞ける機会は本よりも多い(ながら聞き)

  ④集中力は音の方が本よりも持続する

 

出版作業の中で音声化対応を組み込むには?

実際出版サイドにヒアリングしても音声化対応は過大な負担とされる。だが「音声を利用した校正作業」という組み込み方をすれば、校正効率は向上する筈(実際に保険会社での契約書チェックで利用されている)。

出版は当初から電書を前提にしたボーン・デジタルが望ましいが、ePub3などのリフロー型電書に対応してくれればSMIL情報を組み込む事も可能で、そうなると点字への変換も可能になってくる。

 

TTSエンジンの課題

第二水準漢字までにしか対応していない(第四水準までの対応が求められているが、開発コストが膨大)、同音異義語対応に問題、長い熟語の読み対応が難しい、記号の処理(「12:30」の「:」など)、固有名詞と普通名詞で同音異義状態になる場合の処理など、課題は山積。

 

色覚障碍者へのアプローチとしてのTTSを考えても良いのでは。

特に高齢化による白内障や目の霞みに起因する色覚障碍で文字判読困難になるケースを考えると、この最終発症率は100%になる。

 

・電書協特別委員会②インターフェイス研究部会

電子書籍を普及させるためにソフトやクラウドサービスをユーザー視点でモデル作りする。

アクセシビリティ配慮したビューアのインターフェイスを検討。

電書アプリとストアの連携・機能を洗い出して、「誰でも同じように購入・閲覧・補完できるインターフェイス」仕様を検討

 

ビューアに求められる機能=シンプルな操作・画像の見やすさ・高速なコマ送り

→マルチメディア最適化・画像最適化・文字最適化の方向性

 

実のところ各社バラバラなインターフェイスになっていて、iBooksの挙動を単に真似してみただけという所も少なくない。また各種端末・各種ストアで差別化を行うために独自機能を取り入れている部分もある。

→モリサワMCbook、大日本honto、アマゾンKindleなどの実例で比較

 

・電書協特別委員会③デジタルデータ研究部会

視覚障碍者、高齢者、上肢不自由者をも視野に入れた読書障碍者向けのアクセシブルコンテンツの充実

対象は狭い範囲だが、この領域のアクセシビリティ向上が広い市場でのユーザビリティ向上に繋がるのでは無いか。

先のディスカッションでもあったが、ボランティアベースではどうしても先細りになりがち。ビジネスとしてアクセシビリティを成立させたい。

Amazonの実例:OverDriveのシステムで電子図書館サービスにKindleを使用

 

電書検索もOPAC(書名検索)からディスカバリ・インターフェイス(全文検索)の方向へ

 

①アクセシビリティの中でも特に読み上げ機能への期待が高い、②版元はInDesignかQuarkで作成したPDFを所持しているケースが多い事から、PDFからテキスト化ができれば問題が一挙解決できるのではないか。

→一旦TTSにするためにテキスト化が必要になり、それが二次利用問題に抵触する

→読み順情報を組み込んだテキストデータ化&TTS化を一括処理するソフトにしてしまえば解決できるのでは

 

4.閉会挨拶:電流協事務局長 川崎誠一

 

12 Oct 2011

井上純弌氏の「聞くだけで上手くなる萌え&エロ絵講座」・補講

とうとう今回のpostでラストです。真っ白に燃え尽きたので当分探さないでください。

9/25イベントのテキスト起こしだけで長編インタビュー記事を一本仕上げてるような心境です。

この後、改めて懇親会という名の下でフリートークが行われていますが、そちらはメモを一切取っていないので全て割愛いたします。参加した人だけのお楽しみとさせてください。

今回の補講部分で大分フリートーク的な色合いが出て来ている所から、雰囲気はご想像いただけるかと。宮崎駿監督・押井監督・庵野監督・佐藤順一監督・幾原監督・ヤマカン監督などをネタにしたアニメ談義が筆者にとっては強烈に記憶に残っております。

 

7)補講:コンテンツの中身論=キャラクター論

a)短命な萌え/エロからキャラクターへ

さて。ここまで話してきた萌え・エロの時代性というか一過性は、シモに直結してる限り何にでも転用が効くんです。

それに関連した目下の問題は、僕の本職にも直結したフィギュアですね。

これ、一体8千円とか1万円とか平気でする世界ですけど、言いにくいんですが3年くらいでゴミになります。ヤフオク見れば分かりますね。プレミア付かないんですよ。割と値が落ちないのは寧ろ、リアル系でちょいエロな鶴田謙二さん的な、胸が大きくて腰が細くてお尻がでっかいっていう、土偶の時代から愛されてきたタイプになりますね。でもプレミアが付くのは極々少数です。大半は次々と消費されている。

そこで問題。「いつお前らが気づくか」(笑)。

「あれ? フィギュアって買っても意味無くね?」って何時気づくか。それが怖い(笑)。

えーと……、そんな事は無いんですよ(笑)。今を謳歌しましょう!

今そのフィギュアを手に入れる事であなた方は幸せになるんです。後、可動フィギュアとかだと色んな角度やポーズを楽しめるんで、意外と寿命も長いです。

 

逆に、こういう値下がりの生じない趣味、投機的価値のある趣味ってのも実はあるんです

シモに直結した物と違って値段が急落したりしない、移り変わらない物。

それは、キャラクターなんです。これが一番重要な事なんです。

これは僕が「中国嫁日記」を立ち上げた理由でもあるの。

 

b)キャラクターの長命性

キャラクターこそがキモなの。

さっき話したように普遍的な物は何も無いんです。みんな流れていってしまう。特に下半身絡みは。一回フンガフンガしちゃうと、もうボーッと抜けてしまってどうでも良くなるの。男は。

そんな中でずーっと残り、ずーっとお金を稼ぎ続ける物。それがキャラクターなんです。

 

一番いい例は「仮面ライダー」です。

ライダー関連の物は基本的に安くなりません。基本的にどんどん上がる。過去の物を持ってれば持ってるほど上がる。

ライダーだと上がるけど、ここで例えば「エクシードラフト」とかマイナーヒーロー系になると安くなっちゃうんです。キャラとして今も生きている物は値段が落ちないという事なんです。

「ガンダム」もそうですね。

ガンダム関連は沢山生産されるから、値段が落ちるとまで行かなくても安定はする。でも買えないガンプラは間違いなく値上がりしますね。

「ウルトラマン」もそう。買えないウルトラマングッズは必ず値上がりする。

だから変身グッズとか皆さんが持ってたら、老後のために取っておくといいんですよ(笑)。でも萌えフィギュアには意味が無い(笑)。

 

ヒーローとかヒロイン…アメコミのヒーローとかもそうなんですが。寿命の長いキャラクターは、何度も何度もリメイクされるんです。次々と新しくリメイクされていって今も現役な物は、値が下がりません。

それはみんなが、キャラクター商品を買うという行為を通して、過去という名の今を買ってるから。今に続く過去を買ってるから。

 

ちょっとマニアックになりますが、軍艦プラモの世界の話をします。

この世界で商売になるのは、国内では連合艦隊だけなんですよ。ドイツの有名な戦艦とかを出してもあんまり売れない。勿論世界的に見れば売れます。タミヤとかはそうやって黒字を出している。けど日本じゃ売れない。何度も何度も連合艦隊や戦艦大和を買ってるの。

それはなぜか。連合艦隊のあの勇姿が、我々の今に繋がっているからです。

ドイツの戦艦は我々に何もしてくれない。けれど連合艦隊のプラモは我々に何かを与えてくれる。だから買うんです。

我々に直結した物にしか我々はお金を使わないんです。

そこで「今これが必要だ」と思わせる力って一体何かと言うと、今に繋がっているキャラクター性となるんです。キャラクターは古びないんですよ。

 

今と繋がってなくてもお金になる場合もあります。例えば大ヒットした物。分かりやすい例では大ヒットした歌=懐メロ。

懐メロをこの会場みたいな狭いスペースの酒場で歌ってお金を稼いでる芸能人は一杯居ます。彼らはぞれでずっと食っていけるんです。

なぜ昔の物にみんなお金を払うのか。

それは彼らが、「かつての自分」に対してお金を払ってるから。時代を振り返るために。

だから何年経ってもお金になるんです。大ヒットしていれば、ですが。

大ヒットしたからこそ、ピンクレディーには何年経ってもお金が入るんです。

そういう物を作り出せた奴こそ勝てるんです。

作り出せた筈の松本零士先生はなぜあんなにがっつくのか(笑)。

もういいじゃないか!

「どんなときも、どんなときも」お金が入るから!(笑)

もう歴史に名前が残るくらいだからいいじゃないか。ハーロックだってまた実写になるんだし。

 

……ともあれ。そういう領域こそ、クリエイターが最後に到達しなきゃいけない物なんです。

 

c)アートも漫画も文学も

さっきのすぐ飽きちゃうって話は、芸術についても当てはまる話で。

現代芸術でも同じ事が起こります。芸術も消費されちゃうんです。新しい絵柄があってそれに慣れちゃうと飽きられるんです。

で、村上隆さんから先日「それに堪えうるにはどうすればいいんですかね」と問いかけられた。僕の回答は「それはキャラクターを作り出す事だ」なんです。

アンディ・ウォーホルってキャラクターなんですよ。絵じゃないの。アンディ・ウォーホルはそのバックに歴史とか物語を持っているんですよ。同様にゴッホもそう。ゴッホが死んでからの方が売れてるのは、彼がキャラクターであり彼の人生がドラマだから。

我々がお金を払うのは、その時代か、それとも今に続くキャラクターを持ってるかなんです。

キャラクターこそが重要なんです。

 

劇画の世界に、僕の尊敬する小池一夫先生という方がいらっしゃって。

この方が劇画村塾というのを作ってノウハウを教えてらっしゃる。

実は高橋留美子とか、漫画業界の大抵の人間がこの劇画村塾出なんです。「え? この人が!?」という人まで。劇画村塾出の人間を消したら、本当に漫画文化が無くなるんじゃないかってくらいに、我々と密接に関わっているんです。

その「伝説の」劇画村塾で小池先生は何を教えていたのか。一つしか教えてないんですよ。キャラクター。

漫画で出来る事はキャラクターを教える事だけだ。キャラクターこそが漫画の中心である、キャラクターが無ければもう何も無いよ、と。

キャラクターとは何かと言われると、それは人格であり、「そこにその人が居る」というリアリティーでもある。

 

僕最近ビックリした事がありまして。

「アバンチュリエ」(モーリス・ルブラン/森田崇)って漫画知ってます? 知らないか。みんな買え(笑)。

これはルパンについて描いてある漫画ですね。しかもアルセーヌ・ルパンの、本当に最初の小説をただただ漫画化したものです。これが、すっげえ面白いの。漫画として。もんの凄くルパンが格好いい。

あんまり面白いから、僕「イブニング」で担当やってるっていう編集にこないだ会った時に訊いたんですよ。「これかなり脚色入ってるでしょ? 今に合わせて」って。

でも、違うんですよ。一字一句原作通りそのまんまなんですって。

今の時代にそのまま漫画化して、でもべらぼうに面白い。もう第一話から心を鷲掴みにされるんです。

ただ一つ残念なのは、描いてる人があんまり漫画に慣れてないせいか、「引き」の絵作りが少なくてちょっと読みづらい所。でも読むと本当にグイッグイ引きつけられるんですよ。ルパンが途轍もなく悪人で途轍もなく魅力的。

それが、原作小説を一字一句追ってネーム起こした漫画で、これだけ引きつけられる。

元祖の「ルパン」は凄いんです。「ルパン三世」とはワケが違う。これ見てから「ルパン三世」観ると分かるんですけど、「ルパン三世」って実は「ルパン」のエピソードを幾つも摘んで構成してあるんです。実は初代ルパンの小説の焼き直し。

……それぐらい「アバンチュリエ」は面白いんです。

これだけ持ち上げちゃうと期待値上がり過ぎちゃって、実際読んでみると「普通の漫画じゃん」って思うかも知れない(笑)。でも凄い事なんですよ。この原作小説、どれだけ昔に書かれたと思うんだって。それが今「普通の漫画」とか「ルパンってキャラ立ってる」って思うくらいに読める漫画になるんですよ。それくらいの普遍性を持っている。

それがキャラクターなんですよ。これこそを生み出さなきゃいけない。

 

d)キャラクター方法論1・石ノ森流

キャラクターとは一体何か。キャラクターが居るリアリティーとは。どうすれば作れるのか。

それを生み出すためには色んな方法があります。

その例の1つが「仮面ライダー」。あれは何が画期的だったかと言うと、当時最新の、誰も知らなかった(石ノ森章太郎だけは知っていた)、海外のSFの数々を見事なくらいにパクってきてるの。しかもいい具合にパクってる。なぜなら、彼自身がSFファンで、彼がシビれた、面白いなぁと思う所を集めて作ってるんです。だから当時凄い新しかった。何て格好いいんだ、と。

他にも「サイボーグ009」。題名からしてサイボーグですよ。その概念自体が当時新しかったんです。機械を人間の身体に入れるって何て格好いいんだ、と。

そうやって、新しい技術や見た事も無い何かで、現実の見方にブレイクスルーを提供する。

これによってもたらされる新しい視野や新しい解釈が、一つのキャラクターなんです。

最近はそういうブレイクスルーも大分減ってはいるけど、無いワケじゃない。

例えば「マトリックス」。

「マトリックスを超えた」とか言われて、何度超えられてるんだよ一体(笑)。実はその一本たりとて超えちゃあいないんだけどね。「マトリックス」自身が一本目を超えられていないのが凄い(笑)。

「マトリックス」っていうのは、仮想現実という物に対する新しい見方を我々に与える事によって、「マトリックス」というキャラクター、「マトリックス的解釈」というのを教えてくれたんです。「サッカー・パンチ」(邦題「エンジェルウォーズ」)、「インセプション」といったタイトルは、その派生系として生まれたワケです。

この場合、一番最後まで生き残るのは、勿論「マトリックス」なんですよ。

「マトリックス」はもしかすると、この先百年とかの間に「マトリックス2」「~3」「ネオ~」などと、その時代に合わせた「マトリックス」が作られるかも知れない。

それは「ロッキー」が「ロッキー2」「~3」と作られていったのと同じですね。

「ロッキー」ってのは、町山さんが解説してるように、当時のアメリカン・ニューシネマっていう暗い風潮(反体制的主人公が、決まってアンハッピーエンドを迎える等)の中で、端的に「努力すれば必ず報われる」って映画を作って、みんなに希望を与えてくれたんです。そこから「ロッキー」って言うのが希望の象徴としてみんなに広まっていったんです。

これも「今までに無い、新しい視点を与えた」という意味で同じ範疇ですね。

 

e)キャラクター方法論2・サザエさん流

あともう1つあるんです。それが、僕が「中国嫁日記」で取った戦法。

それは、皆さんがよく知ってる物。それに対してモヤモヤした感情しか抱いていなかったモノに、形を与える事です。つまりは「中国嫁」。これも「中国人というのはこういう物です」という典型を与えているワケです。

だから「中国嫁日記」がヒットするだろう事は、実は描く前から分かってました。誰かがやるだろう。これは先にやった奴が勝つ、と。

「ダーリンは外国人」ってのは「国際結婚」というモヤーッとした物に形を与えているんです。「日本人が知らない日本語」は「日本人留学生」という物に、もしくは「日本語の面白さ」という物に形を与えているんです。そうやって今でもベストセラーを続けてるんです。

そうやって、みんなが何だか知らないけどモヤーッと知ってる物に形を与えるのが強いの。

 

「サザエさん」もそうです。「家族」って単位はみんな知ってるけどモヤッとしてる。そこに形を与えてるんです。

以前にも話したんだけど、家族ってのは常に崩壊の危機にあるんです。だから常に新しいドラマを欲してるの。常に新しい時代の「家族」という物語が我々の前に現れるのは、モヤッとしている「現在」に形を与えるからなんです。

 

売れている批評家もそうなんです。

常に我々がモヤッと思ってる現実に形を与える。すると「なんか凄い分かったような気がする! 世界ってこんなに簡単だったのか!」と、こういう風に思わせる事ができる。……まぁ勿論それって嘘なんですけど(笑)。

そういう人こそがお金を集める事ができるんです。茂木さんなんかもそうですね。モヤモヤーッとした物にキャラクターを与えて教えてくれる。「嫌韓流」も、モヤモヤーッとした「韓国人」っていうのに、「韓国人とはこういう悪い物である」というキャラクターを提示している。

こういう手もあるんですよ。

 

f)2つの方法論検討・前者の変形としてのエヴァ

他にもまだ手はあります。だけど大まかに分けて、これまでの2つの方法になるんです。

「今までに無い物を作り出す」っていうのと、「みんなが知ってる物に形を与える」。

で、間違い無く難しいのは、前者の方。当たり前です。もう大抵みんな知ってるから、無い物ってのが無いんだもん。それに「新しい物を分かりやすく見せる」っていうのは、物凄く難しいんです。

 

例えば「仮面ライダー」が「変身」という概念を我々に伝えるのに、どれだけ苦労したか。

今でこそ定着してる「変身ポーズ」が生まれるまでにどれぐらい試行錯誤したのか。

それまではパーッと光るだけだったり、ベータカプセルを掲げるとか、ジュワッとメガネかけるだけだった行動に、ポーズを付ける事で、綺麗に「何か強くなった」「何か変わった」「何か別の物になった」と思わせる。更には「変身!」とかけ声を挙げるだけで自分が強くなったように思わせる。これは1つのロマンですよ。

子供の中には、何かする度に心の中で「変身」って唱えてるの居るんですよ。そういう事をやる事で、彼は現実に向き合う事ができるんです。これは凄い良い事なんです。ロマンっていうのはそうやって人に力を与える事ができるんです。

我々の生活の礎になり、密接に繋がっていき、我々が消費していく「ロマン」。

そんなロマンにするために必要な努力っていうのは、画期的な物ほど難しいんです。

例えば「ウルトラマン」。

身長60メートルもある宇宙人がいきなり現れて、我々の味方だと思わせるのがどれだけ難しいかって話(笑)。だってそれまで「ゴジラ」とか「ウルトラQ」とかしか無かったんだから。怪獣しか居なかったから、デカイ物は必ず町を破壊する物だったんですよ。

それを「僕達の味方だ」と思わせるのが如何に画期的だったか。当時の子供たちに如何に印象深く刻まれたか。……それは結局「ウルトラマン」しか生き残らなかった事が端的に示していると思うんです(海外じゃ「ジャンボーグ9」の方が知名度あったりもしますが)。

「なんで宇宙人が僕達の味方なの?」って疑問を解決するには、凄い手順が必要なんです。だからいまだに「ウルトラマン」シリーズで完璧な第1話って存在しないの。初代マンの第1話って今観ると、なんだかナアナアで登場してナアナアで終わってるんですよ。

勿論、何回も何回も繰り返す事で定着した部分ってのもあります。例えば「ウルトラマングレート」の第1話。オーストラリアが舞台なんですが、ウルトラマンが現れて、外人の隊長が「敵だ!」って攻撃命令を出すんです。ところが部下は「出来ません! 美しい!」って言う。そこで僕達はジーンと来ちゃうワケですよ。「そうだ、俺たちのウルトラマンは美しいんだ! 美しいから攻撃できないんだ!」って納得しちゃう。けどこれ、冷静に考えて初めて観る人にとっては「なんじゃソラ」ですよ(笑)。美しくねえし。攻撃しちゃえよって(笑)。でも、何度も繰り返してるから、我々は銀色の巨人が現れる事に感動するんですよ。それは繰り返す事によるリアルなんです。

 

でもね、一番最初ってのは物凄く難しいの。

「マトリックス」だって普通の人がアレ観ても分かんないよ。例えば「AKIRA」だって、当時の人は画期的だからとかよりも「流行ってたから」読んでたの。何だか分からないけど流行ってるから読んでるって事。それくらい分かりにくいんですよ最新鋭っていうのは。

しかも、円谷さんの特撮技術があったり、大友克洋みたいなとんでもない描写力があったり、ウォシャウスキー兄弟のように凄い映像のアイディアがあったりして、初めて実現できるような、極めて難しい物なんです。常人には無理です。どっかの監督にも無理(笑)。

 

画期的な何かって、だからすっごく作りづらいんです。

それを回避する方向として、庵野さんみたいに「今まで自分が面白いと思った物を全て繋げる」っていう手もあります。

エヴァの何が画期的だったか。これは2つあるんです。

1つはオカルト。ロボット物にオカルト・宗教を持ち込んだ。これが画期的だったんです。

もう1つはエロとバイオレンス。まずアニメにエロを持ち込んだ。当時アニメでエロをやる例ってあんまり無かったんですよ。今でこそ頻繁にエロシーンありますけど。みんなあの頃には「セーラームーン」のエロ漫画も凄い沢山出てたし、「セーラームーン」自体が余りにもショッキングだったから(あんな格好して戦うんですよ?)、感覚が麻痺してたんですけど。でも実は劇中でセックスするのって無かったんです。「オーガス」? 勿論有りましたよ(笑)。でもね、だったらみんなオープニングでそれ以降セックスしたかっていうとやらなかった。つまりアレは上手くいかなかったんですよ。だから止めたの。でもエヴァは「とりあえずショッキングなシーン入れとけや」って入れちゃったの。とりあえずミサトのセックスも入れたし、とりあえずカヲルくんの首も飛ばしちゃった。

エロスとバイオレンスと食欲。これは重要なんです。でも宮崎駿が言ってるように、物を美味しそうに食べる所を見せるのは凄く難しいんです。つまり食欲って、アニメで表現するのは物凄く大変で疲れる。だから止めちゃって、残るエロとバイオレンスに特化させる。これをやったのが庵野秀明なんです。

俺はコレ目の前で言われたんですが、「男は勃ち勃ち、女は濡れ濡れ。これを『勃ち濡れの法則』と言う」って(笑)。但し(当時)DVD買う人間は男が多いんで比率を調整して、「勃ち」7の「濡れ」3ぐらいにする。つまりカヲルくんを最後にちょっと出せばいい(笑)。後は勝手に萌えるから。売れる為には「サービスサービスぅ♪」って言って残りの7を作るの。

……それはともかく、人間の根源的快楽は(食・エロ・バイオレンスの)3つしか無くて、その2つを確実に押さえるってのは重要な事なんです。

そうやって庵野秀明は、自分の面白いって思う特撮やアニメといった物を繋げて画期的な作品を作っていった。

でも、これも庵野秀明くらいに才能のある人間か、もしくはあのとんでもない人間に付き合ってくれるGAINAXの連中が居ないと無理なんです。

どこの世界に、全26話分の制作費を第14話で使い切っちゃう人が居ますか(笑)。

残り制作できませんって言われて「はぁそうですか」って言ってのける人が居ますか(笑)。

それを「分かりました残りの制作費でどうにかしましょう」って言う人間がGAINAXに残ったから、あんなおかしな事になったんです。

これは庵野秀明の友達って人に聞いた話なんで、本当にあった事かは知りませんけど。第14話が終わった後に、有名な「スタジオ・アルカディア号事件」っていうのが起こったらしいんですよ。

ある人が「諸君、よく頑張ってくれた! しかしこれからの戦いは過酷だ! そして、お金は出ない。タダ働きだ! それでもいい奴は残れ。普通の人間は……去っていい」って(笑)。そう言った時に、誰も立ち上がらなかった。それを期に、後のクオリティーがまた上がった(最後には力尽きちゃいましたけど)という、いい話なんですが。

そんな事は起こらない。そんな事って言うより「奇跡」は何度も起こらないんですよ。

庵野秀明の作った歌詞の中に「奇跡は起こるよ何度でも」ってのが有りますけど(笑)。

でもそんな奇跡に期待するのはダメだろ。それは付き合ってくれる同志を浪費するだけだから、止めろよって思う。

 

それより僕は宮崎駿の言う話を支持したいんです。

宮崎駿は天才アニメーターにしてアニメ監督でプロデューサーでもあり企画者としても優秀な方ですが。彼は「5メートル以内で発想しろ」って言うの。

「企画は5メートル以内で発想しろ。それ以上に広がるような事や分からない事は書くな」と。「その5メートル以内の事に対して、新しい目を向ける事によって、新しい何かが生まれてくるんだ」って。

(※筆者注:「仕事道楽-スタジオジブリの現場」によれば、「企画は半径3メートル以内に一杯転がっている」という話があり、「千と千尋」がキャバクラ好きスタッフの新人キャバ嬢成長話を元に生まれたという逸話があるので、それと同趣旨かと推測する)

なるほどなと思うワケです。これの方が正しい。

 

だからもしもあなた方が業界の人間だったり作家だったり、作家になりたいと思ってる場合は、5メートル以内で発想すべきなんです。

普段モヤーッと思ってる事に対して「こういう事ですよ」って形を与えるのはそういう事。

その形を与える物はキャラクターなんです。

 

これは前にも言ったけど、中国の解説漫画って、もう10年以上も描いてらしてる第一人者が既にいらっしゃるの。もう中国行ってるような奴だったら誰もが読んでる。でも、みんな読んでないでしょ。

この方は「中国そのもの」を描こうとしてるんです。でもそれじゃダメなんですよ。

中国そのものってのは認識できないの。「中国『人』」を描くしか無いんです。なぜなら、キャラクター=人格=人間しか、我々には認識できないから。

「地球幼年期の終わり」でやってくるオーバーロードが悪魔の形をしている。これは、悪魔とか人格を認識できる形にしないと我々が認識できないからなんです。

スターチャイルドとかいったワケの分かんない物は認識できない。それでは人間を次の段階にシフトできない。もしくは小説として失敗したり、ワケの分からない映画になっちゃう(笑)。でも「2001年~」の映画は、あれは「分からない映画」として生き残る事を選んだの。わざと分かりにくい映画にして、「分からない映画」というキャラクターを選択したの。でもそれは2回は出来ない方法です。奇襲作戦だから。

 

g)更に別の方法=奇襲

そうそう、もう1つ売れる物を作る方法があります。キャラクターを立てる以外で。

でもこれは非常に危険だから止めた方がいいと思う。それこそ奇襲です。

それは、みんなが信じられない事を描く、もしくはみんなの不安をあおり立てるという方法。

「ノストラダムスの大予言」とかね。みんなが知らない、モヤッとした未来への不安に形を与えてるでしょ。如何にも奇襲なんです。

いきなり不安にさせる。いきなり「これを買わなきゃダメだ!」と思わせる。もしくは「これは画期的だから是非買った方がいい」と思わせる。そういう奇襲です。

 

これは大成功するかどうかはちょっとアレですが、大抵は碌な人生が送れない(笑)。

奇襲をみんなが理解できないか、もしくは奇襲にみんなが引っかかって大金を儲けても、後に叩かれる。

奇襲だから。みんなをビックリさせて消費させるという方法だから。「わーなんて凄いんだ!」って金を払わせてもすぐに飽きる。

 

これが今繰り返し行われてる世界があります。それがお笑いなんです。

「ワンフレーズ芸人」って居るじゃないですか。「どうもヒロシです」とか。あれが奇襲。

みんなが思いも寄らなかった事を言って、一瞬笑わせるの。ワンフレーズだから寿命は非常に短いんだけど、でも成功する可能性はあります。だけどこれじゃあ長続きしない。

でも、そこから自分をキャラクターにしていく事ができる人は、芸人として長続きできるんです。「ヒロシです」なんてワンフレーズで終わらないの。そうすると(ワンフレーズ芸人じゃないけど)ビビる大木さんみたいにずっと生き残っていけるの。

 

つまり「こういう人間が居る」「人格が居る」という形で認識させる事でしか、我々にできる金儲けの方法は無いんです。残念ながら。

 

h)まとめ

という事で。さっきも言っていた「売れる漫画を描きたい」「エロ漫画家には先が無い」。これを食い止めるには方法は2つなんです。

あなたがもし天才ならば、目指せウォシャウスキー!

新しい何かを作れ。新しい何かには奇襲だって含む。でも奇襲は長続きしない。

だけどエヴァは奇襲じゃなかったでしょ。マトリックスも。どちらも「中身」があったから。でもそれが出来るのは天才なんです。

そうじゃなければ、5メートル以内の発想で、なんだか知ってるけどモヤモヤッとしてる物に形を与える方法を採るんです。

 

……いやぁ、タメになったなぁ(笑)。

そういう話です。

後は、……萌え漫画や萌え絵やフィギュアは、沢山買って欲しいなぁと(笑)。

その「萌え」を買って得られる幸せな気持ちは、5年後には得られないから。…5年後には別な「萌え」で得られるとは思うけど(笑)。

それは置いといて、今あなたが気分良くなるためには、これが必要なんです。

 

古くなったエロ同人とか、もう今見ると「何だこりゃ」と思うかもしれない。

だけど、さっきも言いましたが、我々は今だけにお金を払うワケじゃないんです

ノスタルジーにお金を払う場合だってあるじゃないですか(笑)。

他の人にとっては紙屑やプラスチックのゴミかもしれないけれど、あなた自身にとっては、当時のあなたの「萌え」が、想い出の花を咲かせてるかも知れないじゃないですか。

捨てないで、ちゃんと取っておいて欲しいなあ。もしくは沢山買って欲しいなぁと思うワケですよ(笑)。

 

6 Oct 2011

井上純弌氏による「萌え絵/エロ絵」講座・第二部

さてダラダラやってきましたが後半。今回の分を終えると、残りは補足的に語られた30分くらいのトークになります。

しつこいようですが、先にpost済みの「批評について」を一読した上での閲読をお勧めします。あくまでここにテキスト起こししてるのは、井上氏の主観による萌え論でありエロ論である、という話です。

なお、これまで注記してませんでしたが、各種項目立て及び項目の名称は、整理するにあたって私が勝手に作ったモノなので、適正とは言い得ない場合もあるかと思います。メモの誤記・記憶違いの可能性と合わせて、予めご留意ください

 

6)講座第二部:萌え絵/エロ絵の正解とは

a)エロ絵に「正解」はあるのか

さて、「エロは望遠である」という話を第一部でしたワケですが。これだけなら「はいそうですね」で終わっちゃうけど(笑)。次は「エロって何なの?」「エロ絵(萌え絵)って何なの?」という話をしようかと。

(プロジェクターに謎の画像を表示)

これって何か分かる?

これ、口なんです。では何の口か分かりますか? 意図的にこれは上下逆に表示してるんで、ひっくり返して(戻して)見てみましょう。

(画像、上下を反転させる)

……そう、平野俊貴さんの絵なんです。「イクサー1」とかの。その口元だけ切り出したもの。

(鼻先と口の部分だけだった画像を、キャラの顔に戻す)

でもこれ、今見るとおかしいんですよ(笑)。あの時は凄いいい絵だと思ってたのに、今振り返ってみると「何だったんだアレは」。

昔はエロかったのに、今見るとエロくない。もしくは「何でこんなモンがエロかったんだろう」と思う。これは、今の僕らの判断が正しいんだろうか。過去の気持ちの方が正しいんだろうか。

そういう話をここからはしたいんです。

これは「エロの時代性」というより「エロに正解はあるのか」という問題ですね。

過去に松本人志が「一人ごっつ」って番組やってたの知ってます? この第一回で「あの、俺考えがあるんやけど。お笑いには、正解があると思うんや」って言ってたんですが。

コレなんです!

僕は当時観ててすげえと思った。お笑いには絶対に誰でも笑わせられるっていう正解があるんだと。

今回僕が言いたいのは「エロにも正解があるのか」。全員がエロいって思う正解。そんなのが見つかったら、こんな素晴らしい事は無いって思いません? もうここに居る全員エロ漫画家ですよ(笑)。

もしくはね。「あの、炎天下もしくは酷寒の地で半日近くも並んで、アイツらは一体何を買っているのか」っていう話ですよ。何がお前らをそうさせるのか。人をそこまでさせる絵とは何か。

…そこで、この絵なんです。

昔は平野さんの絵にあったんですよ。「平野さんが原画を描いてる」っていうだけで、そのビデオを買う価値があった。僕も平野さんの絵真似したし。

 

b)時代に左右される「正解」

他の例、せっかくだから「マクロス」の資料を出しましょうか。

(プロジェクター、早瀬未沙のキャラ設定画を表示。ブリッジ用ヘッドセット着用の斜め正面顔)

早瀬未沙さんです。

で、おかしいんです。これ原画じゃなくてキャラ表ですよ? これを見てみんな原動画を描かなきゃいけない。でもあなた方がアニメーターだったらこの絵を動かせますか? 無理ですよ。頭長すぎるもん(笑)。耳ここ(目の下、鼻先に対し高さ合わせた位置)にあるのおかしくない?って思うんですよ。

でもね。昔は凄い良かったの。みんな好きだったでしょ。

この中に「マクロス」をリアルタイムで観てた人居る? ……多いな。思ったでしょ? 映像が流れてきて「コレだーっ! 俺たちが観たかったのはコレだーっ! 俺たちがチンピクするキャラはコレだー! リン・ミンメイかわゆす」って(笑)。

でもおかしいでしょこの絵。今のアニメーターさんだと動かせないかもしれない。

なぜなら、独特の文法で描かれているから。独特のバランスと言ってもいい。

これ動かすと絵崩れますよね。今見ると「どうやって動かすんだ」って思うんですよ。

もう1つ見てみましょうか。

(早瀬未沙、同じ状況の横顔設定)

こっちでも絵がおかしい。だってこれ、振り向けないもん。縦横のバランスが変なんですよ。

でも当時はそんな事誰も思わなかった。作画バランスの悪い回で「なんだこの絵、作画悪いなぁ」とは思っても、「実は美樹本さんの絵っておかしくねえ?」とは誰も思わなかった。

あの瞬間、間違いなくあの絵は当たり前だったんですよ。

みんなあの絵が動かせる絵かどうかなんて考えてなかった。

この絵は(デッサン的に)おかしいんですよ。目の位置おかしいし、鼻もこんなんじゃない。首の繋がりも怪しい。でも逆に言うと、この会場には居る筈なんですよ。「おいおい井上純弌、何言ってんだ。俺には普通に見える」って人が。

 

次に「センチメンタル・グラフィティ」の絵を見てみましょうか。

(画面、「センチ~」のキャラ版権イラストに。以降トークに応じて「センチ~」絵を次々に)

これはね、始めて10万本を超えるヒットを実現したっていう、とんでもないギャルゲーなんです。

どのくらい売れたかって言うと、当時この絵のポスターが売ってたんですが、秋葉原の戦士たちはそれを次々に回収していった。余りにもその数が多いから、戦士たちのリュックがミサイルポッドのようになっていたくらい(笑)。かつてそういう時代があったんです。懐かしいでしょ。

この絵も今見るとおかしい。変だ。だって耳こんな位置じゃないし。目離れすぎだし。

でもこれが良かったの。

これだけじゃないですよ。他にも「センチ~」の画像出してみましょう。これも、これもおかしい。

目が大きいってのは今も同じ傾向ですけど、離れてるよね。ちなみに「セーラームーン」って今観ると「首長ぇなぁ」って思いますよ。

 

次の例を見てみましょうか。こちらは竹井正樹という当時天才アニメーターと言われた男が描いた「同級生」というゲームから。

(プロジェクター、「同級生」原画集表紙を表示。以降、中の原画を表示していく)

ウィキペディア見ると竹井さんの当時の評価が分かります。「正確なデッサンで名を馳せた」。いいですか、「正確なデッサンで」。……正確かよ(笑)?

この絵はカバーだから、マニアから「それは描き下ろしだ」ってツッコミを喰らうかもしれない。「あの画面の中は違ってたんだ!」って。じゃあ画面出してみましょう(笑)。

……ほら。おかしいでしょ。あのね、正中線が取れてないの。右と左で目元の大きさもちょっと違うよね。これなんか身体に首が埋まりすぎ。顔もおかしいですよ。この髪の毛の出方は何?とか。これ、みんな実際に使われてたキャラ絵なんですよ。

これは僕が竹井さんの悪口を言いたいワケじゃないの。他の方もそうなんだけど。

だってほら、この画面見てよ。これは僕が原画集をちゃんと買って、そこから取り込んでるの。模写してたんだよ。僕がエロゲ原画描く時の参考にしてたの。

 

でもこちらの絵はデッサンが合ってる。今見ても普通ですよね。つまり竹井さん、正確なデッサンで描けるんですよ実は。このオバサンの絵見ても普通でしょ。年上のキャラになると俄然デッサンが合ってくる(笑)。

では何故オバサンだとデッサンが合ってくるのか。さっきのキャラ絵では何故デッサンが崩れてるのか。つまりコレね、ヒロイン格で無い年上キャラ(今のサンプルの年上キャラの1人は一応ヒロイン扱いですが)を描いてる時は、デッサンに普通の人の要素を入れてるんです。

これはですね、漫画ではよく使われてる手法なんですよ。

例えば「マガジン」の不良漫画で考えよう。不良が出てくる。NPC(Non Player Character)で不良が出てくると、異常にリアルに描かれてるんですよ。骨格とかね。でも例えば「特攻(ブッコミ)の拓」とか、主人公のキャラがマンガしてるでしょ。他にも「デビルマン」だってそう。ヒーローたちは全部漫画の文法で描かれてましたけど、暴徒はみんなリアルな頭身で描かれている。

ではそれは何故か。それはつまりデッサンの正確性=客観性を入れることによって、自分から遠くなってしまうんです。つまり「他者」であると。こいつらは殺してもいい、もしくはこいつらはストーリーに絡まないよと説明してくれているワケなんですね。

この「他者」って表現のために、実は年上キャラって意外と正確なデッサンで描かれているんですよ。だから今見てもおかしくない。でも、こういうキャラは当時はヒロイン格になれない。それよりは今見るとデッサンが狂ってると思う方のキャラに、実は当時はグッと来てたんです。

 

他にも七瀬葵さんって方がいらっしゃって。

(プロジェクター、七瀬葵のナコルル同人誌を表示)

これ今見るとビックリするでしょ。これにみんな殺到してたんです。……変でしょ? 全然良くない。でも当時は凄く良く思えたんです。……いや、これも七瀬さんの悪口言いたいワケじゃないんですが(笑)。

 

でね。過去と今のどっちが正解かっていう命題に戻ります。

ここで僕は今からキバヤシみたいに結論から先に言います。

(今の)我々が間違ってて、当時の彼らが正しかった。

……ああ、見えた見えた。皆さんの背景にアシスタントが丸一日かけて描くようなベタフラが見えた(笑)。何言ってんだキバヤシーっ!ってヤツですね。

そう、「萌え絵」ってのは必ず歪んでるもんなんです。しかも明後日の方向に

 

近い例として、'00年代の「こみっくパーティー」を挙げてみましょうか。

(プロジェクター、「こみパ」のイベントCGを表示)

綺麗に画像スキャンできてますよね。勿論僕が参考にしてるからです(笑)。

「こみパ」は'00年代だから、まだこれまでのサンプルより時期的に近いんですよ。でも今見ると、このみつみ美里さんの絵なんかもおかしい。このほっぺたとかね。当時はグッと来てたんだけど、今見るとやっぱり何にグッと来てたのか全然分からない。でも良かったんです。この絵に僕らは行列作って並んでたんですよ。

でも僕はみつみさんの悪口を言いたいワケじゃない。みつみさんと甘露樹さんの最新作「ToHeart2」の広告見ました? すっっごい可愛いの! 正にこれが欲しかった。これが正解!

……この問題、要するに彼(甘露)と彼女(みつみ)は、その時代時代の「正解」をピンポイントで掴んでるという事なんですよ。だから10年後に振り返って見ると変なんです。

 

だからエロって何かとか萌えって何かって言うのは、その時代時代にしか無いものなんです。

時代性に左右されるんです。その時代時代に左右されて、共通する正解ってのが存在しないんです。

さっきのみつみさんの絵、もう1度表示してみましょうか。当時はこれが良かったんです。

 

c)萌え絵・エロ絵とデッサン

今度は竹井さんの「同級生」の絵をもう1度出してみましょうか。

竹井さんはね、後に原画家になってエルフのゲームを当てた後にエロゲの会社まで作るんです。それでプロデュース業を始める。でもそのゲームは上手くいかなくて、自分でもう1度線を引く原画の仕事に戻ってる。ちょっとその絵は持ってこれなかったんだけど、あんまり上手くない。上手くないって言うか、こういう絵じゃない。

じゃあ竹井さんが当時のような絵柄をもう1度描けるようになったら売れるのか。逆に、みつみさんと甘露さんがタイムマシンに乗って(なんか出来るらしいね今度(笑))、「こみパ」の時に今の絵柄を描いたらどうなるのか。

「うわーすげえ萌える」とはならないんですよ。「なんだこりゃ」「下手なパクリだ」「全然ピンと来ねえよ」とか言われるでしょう。それは何故か。

 

昔にもデッサンちゃんと描いてた人は居るんです。例として”偽物”を挙げてみましょうか。

(プロジェクターが「センチ~」の18禁画像を表示)

これ「センチ~」のエロ同人です。今見ても普通でしょ? ちょっとおかしい所もあるけど、今見ても普通。勿論本人が描いてるんじゃない。でも、当時僕これ見て「魅力ねえなあ」「何か変だ」って思ってたんですよ。そっくりには描けてるけど全然違うよって。でも今見ると本家よりこっちの方が普通なんです。分かります?

じゃあこの人が当時一番になれたか。なれないんです。

どういう事かって言うと、本家の、デッサンが変な方が正解なんです

 

……僕はねえ、この事同人誌にしようと思ったの。でも止めた。何故か。多くの人間に迷惑をかけるから(笑)。

分かる? つまりね。「お前らの買ってる本は、10年後には意味が無い」って言う事なんです

全く意味が無い。例えば初音ミクいいなぁって思う。でも10年後はどうか。確かにミクは描く人によって色々違ってくるから長続きするとは思う。でもその絵・その画像は10年後とかに見ると、意味が変わってしまう。そういう事が起こってしまうんです。

そうなると最も意味のない事は何か。それは複数買いなんです(笑)。同じ物を2個買う事に意味は無いんです。だって、どうして2個買うの? 取っておくためでしょ。でも10年後には(その萌えポイントが自分でも)分からないんですよ? そんなの意味無いでしょ。

だから「萌え」っていうのは、「エロ」っていうのは、その瞬間にしか無いんですよ

 

デッサンが取れて客観性のある絵は今でも見るに耐えうる。じゃあ村田蓮爾先生のように(村田さんも最近萌えに寄って来てる気がするけど)、ちゃんとしたデッサンの絵を描けば、時代の経過に耐えうるのではないか。多くの人を長く引き留められるのではないか。だとすれば、完璧なデッサンの絵こそ正しいのか。違うんです。

それが出来ないのは既に話しましたね。大人キャラは萌えキャラ枠じゃないって。これは「記号」なんだぞって。それが理由の1つ。もう1つ、萌え/エロについて言えばそうする意味が無いんです。

 

d)AVも例外でなく

ではここで、昔のAVの画像を見てみましょう。'80年代くらいの。

(プロジェクター画面、各種AVのパッケージやグラビア記事画像を表示していく)

当時を知ってる人なら分かるだろうけど、'80年代って劇的にAVの質が向上してるんです。でも、今こうして見るとちょっと怖い。

比較対象として'00年代も見ましょうか。うん、これはダサい。'80年代から20年経過してるのにダサい。でも、さっきよりマシでしょ? 実は'90年代に結構マシになってるんですよ。ほら、急に良くなってるでしょ。

ではこれって、女の人の質が上がってるのか。女の人のスタイルが良くなってるのか

命題を広く捉えると「我々は前に進んでいるのか」。人間って常にこう思いたがるんです。そうじゃないと日々やってる事が無意味に思えるから。

例えばさっきの、みつみさんや甘露さんは「こみパ」当時、絵が下手だったのかという話になる。「前に進んでいる」のなら「今だったらもっと上手く描ける」事になる。

 

実はこれ、化粧とライティングの違いなんです。進化なんかじゃない。

ベクトルの違い、方向性の違いなんです

だって素材は一緒だから。素材にどんな化粧を塗って照明を当てるかで、時代性が出てるんです。

例えばここで'80年代から'00年代までの全部のAVを出してきて、年代順に並べ替えろって言われたら、多分多くの人が正解すると思いますよ。ほぼ順番通りに並べられる。それはみんな「こっちの方がいい」って形で知ってるから。今の時代に近づけば近づくほど「こっちの方が良くなってる。昔のはダサい」って思うんです。

でも本当にそれ、ダサかったのかって話ですよ。違うの。ダサいんじゃなくて、その時はそれが良かったんです

さっきの絵柄の話でもそうですけど、その「ダサい」のが良かったんです。「ダサい」から売れてたんです。もしも今のAV女優がタイムマシンで昔に行ったら、今の女優でも同じように化粧して同じように撮られちゃうんです。今売れてるAVのパッケージを持って行っても「なんて革命的な絵なんだ!」とはならない。なんか物足りねーなーとか、なんだコレAVに見えねえとか言われた挙げ句、こんなの売れねえって返されちゃうんです。

 

先の絵柄やデッサンからの逸脱だけじゃなく、化粧もその時代時代でないと意味が無いんです

例えば10年前の化粧って(化粧品自体は生鮮食品みたいな物だから腐ってると思うけど)、今の女の人がそれを見ても「おおーっ」とか思わないんです。「こうやってたんだ」と、分析的視点で今を推し量る意味しか無いんです。

 

e)問題は人の生殖行動に

……ここまでの議論も、ここからの総括も全部僕の主観なんで(笑)、「んなワケねーよ」と思う人も居るとは思いますが。

つまるところ、化粧も、エロも、萌えも、その時代にしか存在しない物だと言う事です

何故こんな現象が起こるのか。何故エロは今しか無いのか。なぜみんなが今「それ」を欲するのか。

 

簡単な事なんです。それは生殖行動に繋がっているからです

「今一番いい雌を捕まえなきゃいけない」。その生殖行動に左右されてるからです。

男はみんなそうです。女の人は違うかもしれない。

この話はあくまで男中心の、萌えとエロの話です。だからBLとかの場合はもっと別な分析が成り立つ筈です。……だから是非誰かに分析をやって貰いたい。そして売れなくなって欲しい(笑)。僕のように。「そんな事やってもお金にならねえぞ」とか怒られて欲しい(笑)。あるいは里見さんのように「止めた方がいい」とか。

 

人間って農耕生活に入る前は狩猟採集生活をしてたんですよ。どっかその辺の物を食って生活してた。それが農耕民族になった瞬間に、家族を作らねばならないって枷をかけられて、夫婦ってのを作る事を求められるようになる。だけど我々は本能で生きてるんで、この間NHKスペシャルでやってたように、夫婦って大体3年から5年の辺りで危機を迎えるんです。その頃になると飽きちゃうんです。これは仕方がないんです。狩猟民族だった時代の名残だから。その頃には生殖が終わり、旅に出てしまう筈だった。それを農耕民族になったから抑え込んでいるんです今の我々は。

そういう問題が、化粧にも萌えやエロにも適用されるんです。

あれらは生殖行動に繋がっているからこそ、「今」でなくちゃいけないんです

 

ちょっと逆方向の話として。

山野車輪って人が「なる☆まん!」って漫画を描いてて、これがとっても面白いんです。

今の漫画家は既得権益を持ってるって言うの。今の、長い巻数を重ねてる連載陣は、雑誌の連載枠を押さえて、より自分の作品を売っていく事ができる。新人はその中になかなか入っていく事ができないっていう既得権益。そしてもう1つ。そういう連載陣の今まで描き溜めた漫画が市場に流れる事によって、それが古本なんかに流れたら値段もガンガン下がるワケです。過去の名作(名作だから当然面白い)がそうやって安価に市場に流れてるから、それらが新作を押しのけちゃって新作が売れない。だから新作を描く新人が食いっぱぐれる。そういう既得権益。

勿論これは全て本当の事です。

但し、エロは除くんです。

エロは、過去の名作が今の作品を押しのける事が出来ないんです

古くなる物だから。「生鮮食品」だから。我々の生殖に密接に繋がってるから、必ず新しい物じゃなきゃいけないんです。

男は必ず女に飽きちゃうから、その飽きる感覚がエロに反映されちゃうんです。

 

今、萌え絵描きは沢山出て来ています。口汚いヤツの中には「半年単位で萌え絵の流行が変わる」って言ってるのもいる。けどそれは嘘。違うんです。半年単位で変わるのは寧ろ女の子。これはキャラが変わるというより、みんなに合わせて少しずつ描き方が変わるっていう変化です。

実は男の描き手には3年くらい読者も付き合ってくれるんです。恋愛と同じ。キャラもそう。

例えばハルヒとか。エヴァみたいにとんでもない領域に行っちゃうケースも稀にありますが、あれだけ人気だったハルヒもそろそろ陰りが見えてきた。「成恵の世界」なんて5年も付き合ってくれませんよ(笑)。「天地無用」なんてみんなもう忘れてしまってる(笑)。「今更天地無用かよ」って感じにどうしてもなっちゃう。僕は大地丙太郎監督が好きなんだけど、それだって今大地監督で「十兵衛ちゃんじゃねえだろ」って思う(笑)。「何回も何回もアニメ化してんじゃねえよ」と(笑)。

そうやって次々に消費されていくんです。そして過去は無いんです。我々の「萌え」世界には。

萌えという領域に過去は無い。次々に新しい物が出て、消えていく。それが萌えの世界でありAVの世界であり、エロと直結してる全ての物がそうなんです。

 

f)今を生きる、今に生きる

だったら我々は何をしたらいいのか。そこで僕は思ったんですよ。「エロ同人は何をしなければいけないのか」。……って、ここに業界人あまりいねえだろうなぁ(笑)。

エロ同人作家は今を謳歌すべき!

今最大効率で儲かる以外の事は無いんですよ。お前らの仕事が過去に振り返られる事は無い!(笑)

たとえどんなに辛くても、今を乗り切れば大丈夫という事は無い!

何故なら今売れてなければ、お前らは未来永劫売れてないんだ。

だから僕は、同人フィギュアで儲けるしかないな、という事に気が付いたワケです。この瞬間の金儲けしか無いんですよ。

 

無論これはエロの話ですよ。

中には崇高な理想を持った(一次)創作の人間、例えば「トライガン」の内藤泰弘さんのような人もいる。内藤さんの同人誌は装丁まで素晴らしい。芸術作品ですよ。歴史に残してもいい。コレは残るが、お前らは残らない。何故ならエロだから。

でも、お前らはその内藤さんの同人誌を並んで買ったか? 買ってないだろ? 僕は買った。あの時は列なんて無かったんです。フラリと行けば買えた。

でもお前らのエロ同人の所には行列ができるだろ、という話ですよ。

何故なら、並んでる奴らも知ってるんですよ。この夏、この瞬間にしか意味のない本だからこそ並んでいるんです。悲しいハンターなんですよ(笑)。

勿論「悲しい」と言っても本人充実してますが。10年後には紙屑同然になる物のために並んでるワケです。でも僕はそれを悪いとは言わない。

 

……だからこの話って本に出来ないんですよ(笑)。

でもここに居る人には、僕の声の大きさやイントネーションで、僕の言いたい事のニュアンスを感じ取って欲しい。

だからこそ、素晴らしい!

だからこそ、奴らは今生きている。

だからこそ。今この瞬間を謳歌するためにコミケに居るんですよ。

お前らは、とらのあなで買う連中とはひと味違うんですよ(笑)。

ネットでポチる連中とはワケが違う。お前らこそ戦友でありお前らこそフレンドである!

流した汗の価値はあるぞ、と僕は言いたい。

 

っていう話で僕の今日の話はほぼお終いなんですけど。

まとめると、

「萌え絵」ってのは生殖活動に直結してるからこそ移り変わりがあり、だからこそ今しかない。

だから今を謳歌するしかエロ漫画には無い。

そういう事だから、エロ漫画家に僕は言いたい。

今一番儲かる方法を考えろ。今一番売れてる絵柄をパクれ(笑)。

勿論、昔の絵柄を引きずって、昔のタイトルのセーラームーン本を出す事で、例えばBLACK DOGさんみたいに、今なお壁際にいる人もいる。そういうやり方もあるんです。それは生き残りの戦術として、そこに市場があるならば供給すべきなんです。

それは平野耕太が「大同人物語」で描いてた、「ただ一つの理(ことわり)」ですよ。

「『人に求められている漫画を求められているだけ供給する』、漫画がこの世に生まれてきた時からのたった一つの理だ! 何が悪い!」正にその通りなんです。

同人誌ってのは、その瞬間に、欲しいヤツに欲しいだけ配るものであって、過去を見返す物ではない!

今を謳歌しろ! もっと買え!と。それによってお前らは幸せになるんだと。

 

30 Sep 2011

井上純弌氏による「萌え絵/エロ絵」講座・第一部

ということで講座本番です。講座中にプロジェクターで図表を使いまくってたのに、手元にあるのはメモ書きばかり(状況は記憶と想像に任せる他ない)とか、井上氏がライブで喋ってるからこそネタとして成立してる黒いトークやディープなネタが、テキスト書きになると角が立ちそうでデトックスを考慮した(途中で断念)とか、余りにも多方面のオタネタ総動員なトークで筆者としてはメモからの講座再現が難しかったり(実は「攻殻機動隊」オープニングについては具体的解説があったけれど、私自身初号試写を観たっきりなので再現を断念)とか、難航させていただきました。

予め前回投稿の「批評について」の項を一読した上で(それを前提に)読んでいただくのをお勧めします。個人的に「余りに断言の目立つ主張は疑ってかかれ」という意識があるのですが、自分の才能や、努力で底上げする力量に限度があるのを分かった上で、それでも確実に萌えなりエロなりでイラストや漫画を描いていくための考え方であり、一つの割り切り方なのかな、と捉えております。

5)講座第一部・構図と歪(ひず)み

a)萌え絵とエロ絵
「中国嫁日記」を始める前に、僕フィギュアを沢山やってたでしょ。その切っ掛けになったのは「同人誌って一体何だろう」と考え始めた事で、それから10年以上経つけど何も変わってない。「同人誌って何だろう」っていうのは、「エロって何だろう」という疑問に繋がるんです。

「萌えって何だろう」と「エロって何だろう」は、この際区別しません。
それは何故か。僕が今から言う事の「エロ」を「萌え」に置き換えても何ら問題が無いから。ここで大事なのは、エロと萌えがイコールだって話じゃない。エロと萌えは明確に違うものなんです。でも同じ文法で扱っていいものなんです。舌に感じる痛覚を「辛さ」と捉えているのと同じです。その辛さと痛さに通底する痛覚を僕は語ろうとしている。エロと萌えの違いは強弱の問題。でもこの違いがとても大事で、境界が凄く難しいから、エロを萌えに投入しても失敗したりする。筆の喩えを使うなら、大作用筆には面相筆の代わりはできないんです。
基本的に今日僕はエロについて語ります。萌えについては、強弱の問題としてエロを弱くすれば萌えになると言えるんだけど、弱くする作業が物凄く大変なので、これは僕以外の誰かが語るべきです。萌えとエロは同じ文法でも別な論理を持ってるんです。でも同じ「筆」だから、僕は共通文法にあたる「筆」を語るんです。

b)構図論:スーパーマン2人
プロジェクターに今表示してる絵は山本貴嗣先生の「本気のマンガ術」から引っ張ってます。
これは素晴らしい本です。主観に満ちあふれている(笑)。「ホーリーランド」でグレイシー柔術を使う奴だったかが舌をペロリとやって「おいしい」って言うような心境です。「どんな主観で俺を振り回してくれるんだろう。おいしい」(笑)。

山本先生は素晴らしい技術の持ち主です。「レンズ」=世界を見る目と言うか、世界を描き表す目を、沢山持っている。
この目=レンズは、普通の漫画家は1本しか持ってないんです。あの安彦良和さんも1本。これは(スタジオ)カラーの人から教えて貰った話。その人は2本くらい持ってた。プロダクションIGの凄いレベルの人だと3本持ってるんだって。で、山本さんはと言うと、3本持ってるんです。この人はだから、IGの凄いレベルの人並みの実力を持ってるんです。
端的にそれはどういう事かと言うと、レンズを変えるのに合わせて、身体の描写を綺麗に歪ませる事ができるんです。

ではこの本、どんな主観なのか。具体的に言うとこうです。
2人の剣豪が立ち会って勝負って状況で、キン!と暗闇のコマが入って、次のシーンで2人が離れてる。片方がチンと刀を収めると、もう片方が倒れる……って演出。「もういい加減にこんな詰まらない演出は止めよう」って言うんです。代わりに、この剣豪は刀をどう握るのか、どう振るのか、どう当てるのか…といった事を考えて描くべきだって。僕はいくらでもこの演出描いちゃうべきだと思いますけどね(笑)。そんな事言ってたら「BLEACH」は描けない。だったらチンと刀を収めた後のリアクションにバリエーションを増やすとか、引き出しを一杯作っておいた方が、実際に描くのには役に立つ。でも山本さんの言ってる事は全て正しい。正論なんです。他にも、自動式拳銃とリボルバー式とでは、握ってる手の持ち方が違うのに、皆ごっちゃにしていてけしからん、とか書いてある。確かに違うんだよ。グリップ握ってみれば分かる。でも拘り過ぎじゃないかと。

拳銃絡みで余談ですが、ソノケン(園田健一)さんの場合。同じ自動拳銃を持ってるのに握りが違う場合がある。どういう事かと言うと、キャラクターそれぞれで指の長さが違うから、指の出方がそれぞれで違っちゃってるんです(笑)。
ソノケンはねえ、コミックマスターJが(岡昌平の二次創作で)内股になって泣きながら逃げ出した男なんですよ(笑)。この間も「最近のガキは」ってボヤいてたんで聞いてみると、アシスタントが車の絵を描いた。それに没を出した。でも何故か分からない。聞いてみると「頭使って描いてるのか? この車には人が乗ってねーだろ」。更に分からなくて聞いてみると「サスが凹んでねーだろ」って。画面に描かれた車の絵を見ても、我々にはサスが沈んでるかどうかなんて判別できません。園やんには分かるんです(笑)。「園田さん、その描き分けができる奴って?」と聞いてみたら、挙がってきたのが「ことぶきつかさ」。それだけの腕があれば、ガンダムAで連載持てるわ!

…それはともかくとして、山本さんはそれぐらい凄い人なんですが。
その「本気のマンガ術」の中にあったこの図が分かりやすい。

(プロジェクターで3種の構図を比較する一覧を表示)
上段が広角レンズの構図、中段が標準、下段が望遠の構図です。

どういう事かというと、この広角の画面の一部を切り取ったのが標準で、その一部を更に切り取ったのが望遠なんです。広角の中に要素が全て入ってるんです。
広角ってのは何かと言うと、「全体を描く」事なんです。広角ってのは3Dです。画面に奥行きと長さがある。標準だとそれが無くなってきてる。望遠にまでなると全く無い。望遠の世界は全て平行な世界。この世界では絵は歪みません。広角だと歪むんです。
「あれ? 広角>標準>望遠って、被写体に段々近づいてきてるじゃないか」とか思うでしょ。でも違うんです。これは近づいてるんじゃなくて、レンズが違うだけ。背景を見比べれば分かる。あと広角の構図を見ると、奥側の人物が広角だと凄い奥でしょ。手前側の人物が凄い近いでしょ。これが歪んでる状態。反対にこっちの望遠構図は歪んでない状態。

最近のアニメーターは画面の構図が望遠なのに、手前の要素だけを大きく伸ばしてたりする。これはデジカメによって「レンズ手前の物は歪む」って新しい感覚が生まれたんです。でも本当は、この広角の構図みたいに綺麗に歪ませなきゃいけない。これは人間の肩のラインとか見ると分かるんです。
これがちゃんと出来る人が少ないんですよ。山本さんにはできる。でも普通の人間にはできない。

これに関して山本さんが「これはやってはいけない」って言ってるのを挙げましょう。それは「1つのコマに違うパースを混ぜないようにしよう」。広角の人間を望遠の画面の中に入れると書き割りみたいに見えてしまう。広角の画面の中に望遠の人を入れると、望遠の人は歪まないからやっぱり違和感がある。
では広角の画面に望遠の人を入れた構図を見てみましょう。……見ててそんな違和感無いでしょ?(笑) それが分かるのは山本さん、あなたが凄いからなんです。スーパーマンじゃない僕たち一般人には分からない。それにこっちの方がなんか収まりが良く見える。格好いい。
実際、士郞正宗先生は背景を広角で描いてる中に、人物を望遠で描いている。だから彼の美少女絵はどっから見ても同じ「ハンコ絵」なんですけど、それは別に士郞正宗が僕たちを騙してるとか楽をしてるって話じゃないんです。そっちの方がいいんです実は。

c)構図論:萌え絵とエロ絵は望遠
(プロジェクターで自作の、男女の情交シーンのラフ絵を広角構図・望遠構図で比較)
(まず広角レンズの構図を写して)
AVって基本的に広角レンズで撮影してるんです。特に沢山の人とやる場合、物凄い広角レンズを使う。何にでも対応できるように、全てが画角に入るように。だから手前の人物が拡大されて、奥の人物が小さくなる。

で、こうして見てみると、広角の方が迫力あるように見えるでしょ?
でもね。3Dだと迫力はあるけど、突き放した感じがするの。読者を冷静にさせる。後、絵が下手だと奥の人物が小さいって思っちゃう(笑)。これ皆笑ってるけど、すっごい重要な事なんですよ。絵が上手くないとエロ漫画描けないなんて、そんな信じられない事があるかって話で。
そして3Dは客観性が入るんで、なんかバカっぽい
世の中には凄い絵の上手いエロ漫画家がいて、こういう広角の構図を多用する人がいるんだけど、大抵そういうのはバカっぽい話になっている。これは実は、絵の上手い人がバカっぽい話にしようと思ってるんじゃないんです。こういう構図を多用したネームを切る事で自分に客観性が生まれて、キャラやシチュエーションを客観的に冷めて見てしまうの。「こんなのあり得るか?」って笑えてきちゃう。で、ハハと笑ってギャグ話にしちゃうの。沙村広明先生のギャグ漫画なんかそうですね。「無限の住人」で有名な沙村さんですが、あの人はくだらないギャグ漫画も描く。なんで描くかというと、あの人は絵が余りにも上手すぎるから。

(画面を望遠構図の絵に替える)
次は望遠です。
近くに見えるでしょ? 2つのモチーフ(絵の中の男女)との距離感が無くなって近く見えるんです。これで何が違うかって言うと、ヤってる感じが強い。絵が下手でもそれなりに見える(笑)。これは非常に重要な事です。皆エロ漫画ではこういう構図で描きますけど、中には絵が描けなくてこういう構図にしている人もいる。
そして客観性が飛んで、臨場感が出る。これがエロなんです。これが重要なんです。
昔キムタクが出てた「HERO」ってドラマあったでしょ? あれ見てると分かるんですけど、最初はずーっと遠景で撮ってるんですよ。クライマックスになってくると、ずっと顔のアップを写してるんです。アップって何かというと、望遠レンズ。アップっていうのは、感情移入させたい構図なんです。パースを殺した方が、その人が(心理的)仲間になる

押井守監督はこれを逆手に取って、魚眼レンズを使って撮る。押井さんの映画には一定の法則があって、魚眼レンズで撮ってると、これは必ず誰かにスパイされてるの。誰か監視者がいる場合に魚眼を使うの。魚眼の構図で客観性を入れると同時に、誰かが見てるぞと告げる記号として使ってるの。
「攻殻機動隊」のオープニングもそう。もうワンシーンで素子が人形遣いに出会って次の段階にシフトする物語を予め説明している。それは凄い事なんだけど、こんなの普通理解されない(笑)。俺だけが喜ぶ(笑)。

…話を戻すと。
「その人のつもりになれる」のが望遠なんです。だから望遠は多用すべきなんです。

(プロジェクター画面、18禁同人誌の抜粋に切り替え)
これはbolze.さんの新刊。なぜ新刊かというとbolze.さんは常に進化してるから、新刊を使わないと悪いと思って。bolze.さんはコミケの最大手で何千部も1日で売っちゃう方で、僕なんかは下の下です。
で、大体毎回似たような感じの本を作るんですね。それを指して「手抜きだ」とか言う人がいる。でもそれは違うんです。彼は選んでそうしているから。実際に彼の同人誌は確かに凄くエロい。それは何故か。
画面を見てください。彼の絵には構図が無い。パースが無いんです。望遠と同じで、こっちの方がエロいんです。臨場感があるから。彼はそれをよく分かってるんですよ。何故なら、彼は昔はパースのある絵を描いていたから。敢えて止めたんですよ。
(画面、別の同人誌に)
こちらは私の大好きなMTSPさん。極端なパースなんて全然無いでしょ? 全部同じ。

売れてる同人誌ってパースが無いんです。要らないから。
それは彼らが楽をしようとしてやってるんじゃなくて、彼らは分かってるんです。その方がエロいって。
エロというのは、基本望遠なんです。望遠でなければエロは描かれない。

これ実は「萌え」もそうなんです
次の資料は「萌え絵の教科書」(refeia)なんですが、これも非常に面白い本です。
萌え絵の描き方が端的に書いてある。あまりにも端的なんで、「難しい構図は描かないようにしましょう」とか書いてある(笑)。素晴らしい本です。なぜならスーパーマンでない我々に凝った構図とかできないから、入門編としてはこっちが正しい。
顔の描き方として参考に、「正面でない顔の描き方」。

(プロジェクターで内容を表示)
顔のパーツ全部平行に揃ってるでしょ? つまり全部望遠なんです。
この本、丸々一冊読みましたがパースの話は出てきません。一切。萌え絵にパースは無いって、この本の彼は知ってるんです。だから説明しなかった。必要なら説明しますよ。萌え絵にパースは要らないんです。
でもそれは「手口」じゃない。これは重要な事なの。思い入れってのは基本的にエロ絵と同じですからパースが要らないんです。わざとパースを消してるんです

次にこちらを見てみましょう。
(プロジェクター、美少女のトゥーンシェード3DCGを表示)
トゥーンシェードです。3DCGを萌え絵風に処理した物です。これ、3Dデータだからカメラなんて幾らでも切り替えられるんです。
ところが、ゲームの世界では全部望遠が使われてるんです。アイマスもそう。
アイマスは舞台の上のアイドルをカメラで追う設定になってるから、プレイヤーは「臨場感ある見せ方」として捉えてますけど、それなら別のゲームでは望遠である必要性が無い。普通に撮ればいいじゃんと思う。でも、やらないんです。
やると何が起こるか。これは重要な事です。これは本当に3Dをやってる人に聞けば分かるんですけど、実はこれらのゲームは、わざとこうして望遠にしてるんです。3Dで望遠にしておかないと、顔が崩れるからです。望遠にしておかないと、顔にパースがついておかしくなっちゃうんです。そうすると、「萌え絵」だと僕たちに認識できなくなっちゃう。そのキャラだと認識できなかったり、もしくは「可愛い」と認識できなくなる
さっき士郞正宗さんの話したでしょ? 背景は広角で描かれてるのに、キャラは望遠だって。それは、彼が「それが一番キャラが可愛く見える」って事を知ってるんです。「可愛い」って文法の中には、実はパースが無いんです。なぜならパースの無い絵こそ、我々の中に培われたエロというものだから

d)構図論:古今東西エロスは望遠
これ、今だけの話じゃないんですよ。次に昔の「春画」と呼ばれた江戸時代の絵を見てみましょう。

……ビックリするでしょ? みんな望遠なんです。「この時代にはカメラが無かったから当たり前だ」と言うかもしれない。でもその頃、既に西洋では遠近法が開発されてるんですよ。勿論日本では遠近法が開発されなかったからだという事もできるけど、この頃既に西洋絵画とか入ってきてたから、描く人がやろうと思えばできた筈なんですよ。やっても良かったのにやってない。広角で人間の大きさを変えて描く事もやってない。

それは、これがエロ絵だから。
抜く時に使われるものだから。だからパースを消してるんです。

古来我々は、抜く時・使う時には、常にパースの無い絵を選択してきてるんです。その証明なんです。
……あのね、今日持ってこなかったけど、西洋絵画でもエロっぽい奴って望遠で描いてあるんです。「泉」とか「裸のマハ」とか。あれは、歪ませたく無いんですよ。人間の身体を。その方がエロいって分かってるから。

……という所で1時間経っちゃったから、第一部はここでお終い。

 

29 Sep 2011

井上純弌氏の語る、里見英樹氏について、批評について

先の投稿がエライ事PVが発生しておりプレッシャーで若干ビクビクして自身の「売れたくない脳」を実感する昨今ですがいかがお過ごしでしょうか(枕トーク)。

ともあれネタは鮮度の高いうちに投下せねばならぬ、しかしイベントの本編トークはちょっと整理及び内容デトックスに手間が必要ぽいので、まずはお茶濁し的に間に合った部分から第二弾を投下しておきます。

前回記事起こしした井上氏の枕トークで、お題から外れる内容だったために敢えて割愛した里見さんネタと、本編トークの導入として語られた批評についての話。例によって前後した内容をイベント中のメモ書きからまとめたりしておりますので、そこで誤解や要約ミスなどが生じている可能性がある事については予めご了承ください。

……というか、こうして整理してみると井上氏の里見さんラブコールっぷりがハンパねえと思うのは私だけでしょうか(笑。

3)里見さんの話
「売れたくない病」話の発端になった里見さん(よつばスタジオ)の話って、凄く難しくて、凄い興味深いんだけど結論が無い(笑)。各々で考えろっていう。
そもそもこの話題で里見さんが言いたいのは、「面白い漫画」と「売れる漫画」に相互関係は無いって前提を踏まえて「お前は面白い漫画が描きたいのか、売れる漫画が描きたいのか」って話。

里見さんの話は、例えば誰かの批評を始めると「こういう考えがある。こういう考えもある。僕はこう思うけど、彼は僕の言う事を聞かないから、意味が無いからこの話は終わり」彼は物凄く頭が良いから、言う前に結論が分かるの。自分の言う事を聞いてくれないというのが予め分かってて、その(相手の抵抗を)乗り越える努力をしてくれない。
なぜなら、彼はその能力の全てをあずまきよひこという男に捧げ尽くすと心に決めたから。……カッコいいね! 他の人にもできるけど、やらない。なぜなら責任が取れないから。最後まで責任を取るっていうのは、本来編集ってそうあるべきではあるんだろうけど、複数の相手に対してそれをするのは無理だから、1人のためにその力を使うって心に決めたんだって。
だから、僕に対して色々言ったけど、それは責任取れないから強く推さない。

「売れたくない病」に話を戻すと、僕は「中国嫁」の売れた理由を分析しちゃダメって事になるからどう描いていいか分からない。自然体でって言ってもぎこちなくなる。「だから俺は言いたくなかったんだ」って(笑)。

いやぁ、とんでもない男だよなぁ。里見さんは(笑)。でもこれで僕があずまきよひこだったら、きっとどうすべきか教えてくれるんだろうけど、あの人は僕には責任持てないから言わないの。
僕は里見さん好きです。あまり好きになり切れないのは、断言してくれない所。あの人が断言してくれるのは、あずまきよひこだけ。僕には断言してくれないんです。


4)批評について(講座序論)
アニメの評論とか小説の評論とかって本当に食えないんです。町山さんの本を読めば分かるけど、町山さんは映画を語ってるんじゃなくて、自分を語ってるんです。小説の評論をやってて売れてる人は、小説を使って自分を語ってるんですよ。

でね。僕がこれからする「萌え」論は、とても面白いと思います。面白いけど、それは何故かというと僕が語ってるから。決してそれは真実じゃない。多分。批評が面白いのはその話してる人・書いてる人の自意識の部分、ないしはそいつの主観なんです

例えば脳の分析の世界でも、フロイトとユングが一番面白い。そっから先は面白くない。じゃあフロイトとユング、特にフロイト先生が何で面白いかって言うと、京極先生も言ってたけどあれは文学なんです。自分を語ってるから面白い。正確に言うと、登場するキャラクターが自分を語り始めるのが途轍もなく面白い。で、「この面白いのが精神分析だ!」と思うと、精神分析って事実の積み重ねになった瞬間につまらなくなる。あっちにこういう説があり、こっちにこういう説があり…って、満遍なく摘んでいくと、大抵つまらなくなっちゃうんですよ。事実って基本的に沢山の見方があるのが真実ですから。精神分析なんて主観的なものから主観性が失われると、途端につまらなくなるんです。
歴史もそう。歴史は勝者の歴史だって言われるけど、何故勝者の歴史なのか。当たり前です。勝者が書いた方が面白いから(笑)。敗者が書いた歴史なんて誰も読みたがらない。面白くないんだから。だから歴史ってのは常に面白い。常に勝者が書くから。

だからこれから語る事は、これは僕が語るから面白いんであって、多分別な見方もある。あるし、ネットとかにこういう意見をあなた方が上げると、多分反論される。反論されるとあなた方は「そうかもなぁ」と思う(笑)。それはその瞬間に、その内容が主観じゃなくなってつまらなくなるから。面白いっていうのは基本的に主観なんです。
これから言う話は、そういう観点で聞いて貰わないと色んな問題があるんです。例えば人の悪口に聞こえる事もある。これは主観故にしようがない事なんで、そういう視点もあるっていう事。これ重要な事ですよ。

27 Sep 2011

井上純弌氏の語る「売れたくない病」と「売れる/売れない」について

9月25日に実施された井上純弌(希有馬)氏のトークイベントに参加した。テーマは「聞くだけで上手くなる萌え&エロ絵講座」。しかもtwitter上ではちょっと話題になった「売れたくない病」についても触れる予定との話。

そのイベントで語られた内容には賛否あろうがテーマが興味深いには違いない、更にUst同時配信とかやっていればともかく、配信は検討するようだが未定との事だったので、イベント参加時にメモ取りしていたのを整理して書き起こした。

なので以下掲載する内容に私が全面同意しているワケではない事にご注意を。言い回しや文脈が前後しているのを整理しておる関係上、その際に私自身の表現が多分に混入してしまい、本来の氏の主張とズレてしまった場合には、それは私自身の責任として受け止めたいとは思っております。

まずは第一弾として、「売れたくない病」と「売れる・売れない」話について。今回のイベントの枕にあたるトークです。以降は追々。手元に余裕がある時に作業してるんで、思うようなスピードで処理できなくて申し訳ない。

1)「売れたくない病」について

 

まず前提として「面白い/面白くない漫画」と「売れる/売れない漫画」は別位相の話になります。面白くない漫画でも売れる漫画はあるし、面白くても売れない漫画もある。売れるから面白いってワケじゃない。だから僕が「売れたくない病」にかかっても、公称20万部になった「中国嫁日記」は「売れる漫画」なんです。

 

「中国嫁日記」を商業で刊行するにあたってデザインを依頼した里見さん(よつばスタジオ)は、僕の「嫁日記」漫画をWEBで最初に読んで、「俺がどうにかして動いて書籍化しようか」って一瞬思ったんだって。でも止めた。それは「こいつは面倒臭い。こいつには『売れたくない病』がある。漫画を読むと分かるが、こいつは実は売れたくない」と思ったから。

僕の発症している「売れたくない病」は、基本的に自分の漫画が売れない事を知ってる人間がかかる、典型的な症状です。無意識に発症してる人もいれば、意識的に発症してる人もいる。意識的に発症してる人は、売れる方向に持っていくのが厄介ではあるけれど、それは人それぞれの生き方だし、全員が全員売れる漫画を描かなくたっていい。無意識に発症している人は、言えば治せるだけ厄介ではないんですが、僕みたいに「売れたい」と思っているのに発症してしまっているのが、本当にきついんです。

 

世の中何が辛いかって、「物凄く面白い!」と思う漫画を編集に貶されるのが本当に辛いんです。

僕はTRPGやりながら漫画描いてましたけど、いろんなネーム描いても没喰らって一向に載らなかった。そうなると何が起こるか。無意識に自分の考える売れない要素(わかりにくいネーム、盛り上がりを削る、等)を盛り込み出して、「僕はこんな漫画を描いてるから売れなくて当然だ」って防御しちゃうんです。

 

僕に限らず、「GANTZ」の奥さん、「アイアムアヒーロー」の花沢さん然り、漫画内漫画を描く人が多いっていうのは、そういう、漫画家にとって自分のネームを否定されちゃうのが一番辛いって事の証です。

そういう辛い事に対して人間はどうするかと言うと、「これは痛く(辛く)ないようにしよう」ってDV被害者みたいに防御反応が働いちゃうんです。

例えば「バングラデシュで玉の輿」って漫画があって、これがネタとして凄く面白い。どこか知らないバングラデシュの男と結婚したら、その男が「建国の父」の息子で、いきなりお姫様になっちゃったBL同人女って話だから。でも全然売れてない。それは著者の黒川さんの照れがあるから。「こんな漫画読まなくていいですよ」「大した話じゃありませんよ」的な電波が出てるの。「ツレがうつになりまして。」の細川さんにもまだ少しある。逆に「ダーリンは外国人」の小栗さんには、そういう衒いが無い。

この「すいません売れてしまいまして」とか「いや僕の漫画なんて読まなくてもいいですよ」っていう電波というか照れは、辛い持ち込み時代を経験してると必ずあるんですよ。これが全く無い人って凄く少なくて、ある意味才能なんです。

例えば「セーラームーン」の武内さん。物凄いヒットしてる時に雑誌の柱に「こないだポルシェの展示場に行ったら凄いいい車あったんで買っちゃいました! 販売の人がタキシード仮面そっくりなの。だからタキシード仮面が納車してくれるの。ウフ」って書いちゃうんですよ! そんなの書けないですよ。僕なら自分がポルシェを買うというシチュエーションに耐えられなくて、絶対に黙ってるか、如何に買うのが大変だったかを書く。この武内さんの衒いの無さは、「売れる」という才能なんです。

売れた時に居丈高にできる、「売れちゃってすいません」ではない態度ができるのがいいの。twitterでの茂木健一郎さんみたいに。

売れてる時に「僕は売れてますよ」って顔ができる、若しくは自意識を肥大させる事ができる人をウォッチするのが僕は好きなんです。茂木さんもそうだし、昔は野村沙知代さん。デーブ・スペクターも好きだし、勝間さんも大好き。日垣先生も大好き(笑)。最近だと町山さんが好き。これはそういう人たちがバカだとか間違ってるって話じゃなくて、そういう風になれる・アイドルになれるというのは才能なんですよ。ウォッチしてると一時的にその人と一緒になって自意識を肥大させて無敵状態になれる。同様に僕はヤザワが好きだし、里見さんも好きです。

ところが僕みたいな奴だと、「何万部増刷します!」とか言われると「そんな事していいの?」とか言っちゃう。

 

こういう風に「売れたくない病」があって、常に自分の物が売れない理由を作ってしまうんです。

ここまでがネットで騒ぎになった所。でもこの話にはまだ先があって。

 

その人が偶々売れてしまったとする。売れて有頂天になって自意識が肥大するのは、里見さんに言わせればオッケーなんです。自意識を肥大させてヒットしたんだから、漫画描いてそれが売れて、そのまま常に面白い漫画を描けるから。だから「ブラックジャックによろしく」は面白いんです。あの佐藤さんは自意識が肥大している。だからあの漫画は面白い。僕にはあれは描けない。自意識が肥大するのは素晴らしいんですよ。

ところが僕みたいな奴がヒットすると、小賢しい事を考えてしまう。何故売れたかって分析を始めてしまうんです。分析して、ウケた事と全く同じ事やっちゃうの。同じ事やっておけば「安牌」だって。

これは琴奨菊関の相撲と一緒なんです。彼の相撲は立ち会いの時しか考えない。後は速すぎて思考できないから。そこで「前回こうやって勝てたから、そうすれば勝てる」と思ったら、その瞬間に負けているんだって。それを大関取りを2回逃すことで彼は思い知った。

 

僕は里見さんから「中国嫁の当たった分析は止めろ」と言われた。それは庵野さん流に言えば「評論をやると売れない」って話です。基本的に読者の皆も「評論を”したい”人」であって、評論する本は売れないんです。町山さんが映画評論で食えているのは、あの人がクリエイターで、本の中で映画を語ってるんじゃなくて、映画にかこつけて自分を語ってるからなんです。そういうアプローチじゃないと映画に近づく事ができないから。小説の評論だって同じです。

 

最終的にこの話に結論はありません。

僕は「中国嫁日記」が売れちゃったから、売れたがために「売れたくない病」を潰さなきゃいけないというややこしい領域に入ってます。

「売れたくないなぁ」と思ってる奴が、もし売れてしまった場合。その行為を消そうとするのは間違いなんですよ。だったら何も考えるなって言うと、分析しちゃダメって事でどう描いていいか分からない。赤松先生がtwitterで「やり方あったら是非教えてください」って言ってたけど、それは僕が知りたい。

 

2)売れる・売れないの違い

僕はTRPGをやってたから「売れる/売れない」問題は体験してるんじゃないかと問われると、これはもう明確に違うんです。

僕はTRPGをやってる時「如何に売れるか」「如何に多くの人に遊ばれるか」を考えている。最初の「天羅万象」では好き勝手やらしてもらって、後でエロゲ企画だったけど出なかったからRPGにした「エンゼルギア」も少し好きにやらせてもらったんだけど、それ以外は大体そう。

でもTRPGって売れないですから。日本のTRPGの歴史が約30年、その中で一番売れたのは「ソードワールド」(グループSNE)で、これが大体30万部くらい。「中国嫁日記」の今の公称部数からすると、恐らく1年以内に売上超えちゃうんですよ。

 

同じ「筆」という商品でも大作用筆と面相筆は別なんです。大は小を兼ねると言ったって大作用筆で面相筆の代わりにはならないんです。同じように10万部=10万本売れる筆と、1万部=1万本売れる筆は、同じカテゴリでも別個に扱われるんです。出版社は利益集団だから、売上によって扱いが全然違ってもしょうがない。

見田竜介さんが「売れない時は、なんでみんな俺の言う事を聞いてくれないんだろうって思ってたのに、売れると今度はどうしてみんな俺の言う事聞きまくるんだろうと思った」と言ってたように、売れると「同じ事を言ってても周りの態度が変わる」現象が起こる。「中国嫁日記」は公称20万だから2万部打ってた時代からすれば10倍の発言権を得たって事なんです。多分1千万部って人は1万部の1千倍の発言権を持ってるんですよ。明確に。これは出版業界が汚いって話じゃない。

新谷かおるさんの話になるんだけど。新谷さんはとても原稿が遅い。ある時本当に原稿が落ちちゃうギリギリの状態の時に上がって、担当編集が「もうお前いい加減にしろ!二度とお前の編集なんかするか!」って原稿叩き付けたんだって。でもその漫画が、その週のアンケートランキング1位だった。その編集がどうしたか。翌日仕事場に来て「流石新谷先生でございます!ヒットすると思ってました」って(笑)。

でも僕はこの編集はエライと思う。この作家が売れると思ったら頭下げる編集の方がエライですよ。大人です。作家が成績出したのに態度変えない編集の方が僕は無能だと思う。だから売れてない奴の言う事なんて聞かなくていいんですよ。僕ついこないだまで売れてなかったけど(笑)。

 

20 May 2011

iPod touchでの画質テスト。流石にカメラ性能酷っww

12 Apr 2011

出版大変よー話補足更新

以前にコンテンツ業界隈の話書いた際に触れた出版業の被災影響。すっかり都知事選にうつつを抜かしてる間に色々と大変だというワケでちょっと追加更新。大筋はtwitterにも書いたのでpost見てる人はスルーしておKかも知れぬデスよ。

1)印刷工場停電は大変よー話

twitterにもpostしたけど、大手印刷会社も主要工場は首都圏周辺など輪番停電対象になってたりする。最近は暖房利用が減って停電回避したけど、じゃあこれから夏はどうなるだろう。

  • 紙を扱ってる工場だから、大抵窓ははめ殺し。
  • 紙を扱ってるから、温度湿度管理を適正にしておかないと紙がダメになる。
  • 印刷機も一種の大型産業機械で、冷却しないで回してたら機械がアウト。

というワケで、印刷所って、事務所は冷房切ったりして何とか頑張れるかもしれないけど、工場は冷房とか空調切ったりするワケには行かないのですよ。……てな事言ってると、それじゃ電力足りないから計画停電だの計画給電だのといった話になりかねない。では停電するとどうなるか。

  • 機械を止めなきゃいけない。正規手段で終了しないとPCみたいに故障する恐れがある。
  • 故障したとしても、メーカーのサポート部隊は被災地の工場とかに行っちゃってるから修理厳しいよー。
  • で、正規終了するとどうなるか。

終了の所要時間3時間、再起動時間3時間。仮に停電2時間とすれば8時間一切稼働不能。

さぁ印刷会社さんたちはどうやって業務を回してくれるんでしょう~!(答:徹夜操業地獄)

 

2)紙の大変さも忘れないでねー話

大手製紙会社の工場がかなーり震災でやられた話は前にも触れたので割愛。そこで出てくる話題が「サラ紙(バージンパルプ紙とか)はキツイとして、古紙はどうなのよ」という話。漫画雑誌って大概古紙だしね。企業のパンフも企業イメージアップのためにリサイクルマーク付きの紙使ってるしね。段ボール類も実はこのジャンル。雑誌に使われてる古紙については、月マガさんのWEBの記事が分かりやすいですよー。

 

では古紙ってどうやって作るの? 答はここのリンクを参照。「古紙はこのようにして紙になります」

パルパーというミキサーの親玉みたいなのにかけて繊維に粉砕するワケで。

ここで元の紙のインクを抜く必要があるかどうかで、処理が分かれる。抜かなければ段ボールやボール紙に化けるルート確定。抜くのなら印刷物などに再利用されるルートになると。

で、抜くのなら事前に界面活性剤とか用意してパルパーにかけて蒸気当てたりして、更にクリーン処理をしなければならない。ここで過酸化水素水が必要になる。

さあ、ここからが本番。

首都圏コンビナート火災の影響で、過酸化水素水の供給が滞った!さあ大変。このネタはついこないだ印刷クラスタの知人から聞いたばかりなんだけど、早々と記事に起こしてる所があって凄い説明楽で助かる。

「東日本大震災 過水 ひっ迫深刻 設備能力の75%が停止」

こちらの記事では計画停電や物流のボトルネック発生の影響が大きいと書いてあるけど、要するに古紙再生の際にインキを完全に抜いて綺麗にするために必要な過酸化水素水が全然足りなくなってるという話。

これで露骨にダメージ出るのは多分企業パンフなどの純白な再生紙。でもどうだろう。ヒワ(上記月マガWEBリンク参照)とか白っぽいのも、相当にインキ抜かないとキツイ事に変わりは無いんじゃないだろか。

これを知人の版元に話してみたら「もう無いモノはしょーがねーよクソ。それよりも過酸化水素水何とか大量に手に入らねーかな? 古紙再生もそうだけど、オキシフルとかトイレタリー関係とかニーズ多いから、仕入れ値の10倍くらいでガッポガッポ…(以下略)」という、半ばヤケになったような回答をいただいて凄くステキな思いをさせていただいた。

勿論古紙じゃない紙も無い。レーベルや版元、印刷所やタイトルにもよるんだろうけど、「紙が無いから用紙を急遽変更して新刊を作ってる」という話も聞くし、「紙が無いから、このコミックス書店で在庫切れ起こしてるけど重版できねー」とかいううめき声も実は聞こえてきてる。

コミックスについて言えばカバーの大半がPP加工とかPC加工(要するに表面コーティングの類)とかされてるけど、これも樹脂(ポリプロピレン等)が要るよね! さぁそれを製造してる三菱ケミカルもこんな状況だ。PP加工を断念してPC加工に切り替えざるを得なくなったりとか、有るよね!あるある。本当にある。ギャグでなくて実話。

 

と、まぁ。順調にアチコチ死にものぐるいな状態になってきた。消費者としては「欲しい本は目に留まったら速攻買い」をするしか無い状況になってきてるような気がする。困ったもので。

 

追記:「これで電書時代の到来だ-」とかウカレあそばされてる電書クラスタな人を散見したので氷水投げておく。俺も出版・アニメ・同人だけでなく電書クラスタ掛け持ち人間なので気持ち分からんでも無いが天災で動く「時代」なんぞ劇薬と同じで副作用塗れだっつーの。

  • 宮城の震災打撃でIT系のパーツ製造にダメージ出てるのは衆知の通り。
  • 高純度過水は半導体製造に不可欠
  • コンビナート火災のアオリで、ケーブルのビニル被膜は既に足りない。
  • 更に海外企業は嬉々として日本の風評被害を拡大中

 

ピロシ's Space

携帯系ガジェット好きなトレッキー。
好きなエンタープライズ:NCC-1701
http:/gainersanga.tumblr.com/ と並行更新。こちらは新規postがメインになりまする。

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ピロシ